「新社会兵庫」 7月22日号
 安倍政権が成長戦略の一つとして掲げる女性の活躍推進。@子育てインフラ整備A多様で柔軟な働き方の環境整備B役員・管理職登用率3割目標C税や社会保障制度の見直しなどが検討されている。そこで「損得」の話が持ち出されるのが配偶者控除廃止や3号被保険者制度の存廃をめぐる問題だ。女性間の利害対立を、女性はどう考えるの?と問われもする。が、そんな時こそ基本に戻りたい▼男女とも公平な賃金を得て働ける仕組みがあり、税もまた応能負担の原則で公平に負担する制度であれば、言われるような対立は生まれない。103万円などという低賃金を必死で選ぶ必要はなく、基本給の引き上げをともに要求するだけだ。社会保障制度も然り。憲法は幸福の追求・個人の尊厳・法の下の平等・生存権、そしてそれを保障する国の義務を規定している。原則からそれた、「解釈」がおかしい現行制度を疑問としないでは何も変わらない▼先輩の言葉を思い出す。「同期採用の男性と同じ仕事をし、同じ日に定年を迎え、手にする退職金や年金は何故半分なのか。同じ一人の人間じゃないの……」―声に出さなければ始まらない。正規・非正規、男女、つくられた差別や対立を原則に戻そう。
緊迫する辺野古新基地建設 政府の強権的な動きを許すな
 辺野古代替施設建設の経緯
 普天間基地の返還、新基地建設をめぐっては約20年間、さまざまな経緯をたどった。
 1995年9月4日に起こった米兵による少女暴行事件は沖縄に大きな怒りのうねりをつくりだした。翌年4月12日、日米両政府が普天間飛行場の返還を合意、12月2日には日米特別行動委員会(SACO)の最終報告が両政府によって承認された。しかし、SACO合意では「代替施設の建設を前提に、5年から7年以内の普天間基地の移設」が定められ、代替地として名護市辺野古があげられた。だが、全国からの支援も受け、地元住民による反対運動がねばり強く闘われ、基地建設を阻止してきた。
 その後、2009年9月に発足した民主党・鳩山政権は、移設は「最低でも県外」と公約して誕生したにもかかわらず、最終的には「県内移設」に逆戻りした。
 こうしたなか、沖縄では数度の県民大会の開催、県議会での国外・県外移設を求める意見書の採択、名護市長選での新基地建設反対派・稲嶺市長の誕生など、政府が県内移設を決定しても沖縄は「拒否」し続けてきた。
 しかし、13年12月に仲井真県知事が、政府が申請した固有水面埋立法に基づく辺野古沿岸部の埋め立てを承認したことにより、大きく事態が変化してきている。その後、実施された名護市長選では稲嶺市長が再選し、改めて「新基地建設ノー」の意思表示がなされたが、政府は民意を無視して新基地建設に向けた動きを加速してきている。
 辺野古掘削調査 7月中に強行の動き
 政府は7月1日、新基地建設に向け、建設予定地にある既存施設の解体作業を開始した。これまでも海域生物調査などは進められてきたが、予定地における工事業務は初めての着手となった。
 また、04年に強行されたボーリング調査が住民の抵抗で中止に追い込まれた対抗措置として、6月20日に開かれた日米合同委員会では埋め立て施行区域への船舶などの立ち入りを常時禁止する米軍提供水域の拡大に合意した。漁船やあらゆる船舶の立ち入りを常時禁止する「第一水域」は、沿岸50メートルの範囲だったものを最大で沖合約2キロまで拡大し、水域の用途に「代替施設建設にかかる区域の保安」などを加えた。
 これは7月末にも予定されているボーリング調査に対する海上抗議行動を排除する目的であることは明らかである。政府は、現場海域にブイを設置し、海上保安庁や警察を投入して抗議行動を排除することとしており、制限区域内に市民が入った場合、「日米地位協定の実施に伴う刑事特別法」を適用するとまで言い出している。
 また、政府は7月1日、辺野古新基地建設に向けた関連費用として約637億円の支出を閣議決定した。予算は14年度予備費から142億円、複数年にわたって支出する「非特定国庫債務負担行為」として545億円を計上している。債務負担行為に関して、防衛省は4年で完了させる考えを示し、経費の中には、埋め立て用の巨大工作物ケーソンや矢板の設置費などが含まれている。
 名護市はあくまで反対の姿勢
 沖縄防衛局は4月、辺野古新基地建設に向け、辺野古漁港の使用許可や岩礁破砕の手続きなどを名護市に対して申請した。
 これに対して名護市は、岩礁破砕に反対の回答を示すとともに、埋め立て工事用の作業ヤード建設計画、辺野古ダムの湖水面調査、キャンプ・シュワブ内の水路切り替えなどについて市の条例に基づいて慎重な審査を続けるとしている。
 名護市は、政府が新基地建設への移設手続きを強行することに対して「民意を無視した強権発動であり、民主主義の根幹を揺るがす」と強く批判している。
 世界は手をつなぎ合える
 戦後69年を迎えた沖縄県「慰霊の日」は、政府が辺野古新基地建設へ強権的な動きを進めるとともに、憲法解釈を変更し集団的自衛権行使を容認へ向かう事態の中で「怒り」に包まれたものとなった。
 沖縄全戦没者追悼式で小学校3年生の増田健琉(たける)君は自作の平和の詩「空はつながっている」のなかで、「せかい中の子どもたちみんなが、学校に行けますように 友だちとあそべますように」と訴え、「きっと せかいは手をつなぎ合える」、そして「だから こんなに ぼくの上に 青い空が広がっているんだ」と世界平和への思いを力強く発信した。
 未来を担う子どもたちが、自らの言葉で戦争へ向かおうとしている政府への警笛をならし、平和な日本、平和な沖縄を願っている。
 今を生きる者の責任を果たすため、政府による憲法破壊を許さず、沖縄における新基地建設反対の運動を力強く進めていこう。
森 哲二(平和運動研究会)
生き抜いた先輩に感謝
 職場の先輩が亡くなり3週間になる。まだ54歳だった。悲しいが、感謝の気持ちが今は大きい。
 日本に2人しかいないという病気に罹りながら、15年間闘った。治らないと告げられたのは、お子さんが5歳、3歳、2歳の時。奥さんに聞いたが、子どもさんが小さかったので、病院に一人で行き、その告知を受け、帰宅する前に自分の中で消化し、奥さんにきちんと報告し「お前、がんばれよ」と言ったという。
 今年2月、お見舞いにいった私の親友が泣きながら電話をしてきた。もう治療がない、と奥さんから聞いたという。「会いたいと思って下さる人がいらしたら、いつでも来てやってください」と。たくさんの仲間が次々と行っていいのか、彼が悟りはしないか等の心配をしている状況ではないと聞き、本当にショックだった。 若い頃から、親友も、私も、私の夫も、そして多くの仲間が彼にはお世話になった。
 「知らせなきゃ」。その日から、夫と私は彼の古くからの仲間、友人に近況を知らせた。
 その後、私がお見舞いに行った日も、彼はいつもどおりだった。「もう!仕事も組合活動も腹立つことばっかりや。カリカリして伝わるものも伝わらへん。お願いやから説教して」と言うと、「カッカ来ても、いったんその気持ちは脇に置いといて、なっ」と諭してくれた。
 ホスピスに転院後、一時帰宅していた時、親友と夫と3人でご自宅にお見舞いに行った。入院していたときより顔も体もさらにむくんでいたが、やはりいつもの彼だった。毎日、心配で心配でたまらなかったが、私は毎週のように遠方での活動があったため、親友には「普段通り活動するわ。そのほうが彼も喜んでくれるはず。頼んだで」と言っては出かけた。訃報が届いた朝も、関東に出かけなければならず、夫と手分けし各方面に報せをした後、新幹線に飛び乗り、トンボ帰りをして彼にお別れをした。
 15年間、たった一度も弱音を吐かず、投げ出さず、どんな治療にも果敢にトライし続けた彼。笑顔を絶やさず一緒に戦ったご家族。彼が亡くなった後、奥さんと話すたび、ご家族といっしょの時の彼の写真を見るたび、本当に素敵な家族だと心底思う。
 私は学んだ。
 いちばん好きな人と結婚し、前を向いて生きていけば、どんな困難も一緒に乗り越えられる。彼は本当に幸せだったと知るにつけ、悲しみが少しずつ感謝や希望に変わってきた。
 夫のおねだりを奥さんが快諾してくださり、写真もいただけた。
 生き抜いた彼に感謝。
(MM)
派遣労働者の労災でも差別
 5月に派遣労働者から労災についての相談があった。大手企業に設計士として派遣されていた49歳の男性である。事故は4月15日に発生した。派遣先が受注した仕事で、県外の大手T社の敷地内で起こった。7階建てぐらいの建物を建設中に6階の足場がきちんと設置されておらず、相談者は足を踏み外し、2m下に落ちた。肋骨7本骨折に脾臓摘出で1ヵ月の休職と診断された。1ヵ月後の5月15日に復帰する予定だったが、前日に派遣元企業が派遣先にあいさつに行くと「安全意識が高まったことを保証できるのか=労災は起こさない保証をするか」と派遣先から問われ、派遣元はできないと回答した。そうしたところ、6月30日までの契約だったが、派遣先から5月15日で中途解約された。
 聞けば聞くほど、派遣先の対応はひどい。納期が決まっていた焦りで、安全対策はろくにせず、下請会社からも「足場をきちんと組んでほしい」と要望が出ていたが放置していた。落下直後は救急車も呼んでもらえず、自力で1階まで降り、派遣先社員の車で病院まで運ばれた。総監督が相談者に質問したことは「保険証持ってる?」だったという。派遣先の部長は見舞いに来ても、「なぜ踏みとどまらなかったのか」と責め立てる。派遣先の仕事先企業の中で起こったことであり、労災を隠したかったのだろう。
 労災隠し的な事案は派遣に限ったことではない。ただし、仮に相談者が正社員だったら、仕事を失うことはなかった。労災休職期間中と復帰後1ヵ月は解雇できないという法律になっている。派遣を含む有期労働契約は、労災休職期間中でも、期間満了で終了になり仕事を失う場合がある。
 派遣先はこの労災がなければ、相談者と7月以降も契約を更新する予定だったと思われる。派遣先の業務予定表に7月以降も相談者の名前が記載されていた。働き続けられないという悔しさと、中途解約された憤りは消えない。派遣元で次の仕事が見つからなければ派遣先に対して補償を求めたいという。共にがんばっていきたいと思う。
木村文貴子(神戸ワーカーズユニオン書記長