「新社会兵庫」 6月10日号
- この男の思い上がりや舞い上がりはどこまで?ひとの命や戦争が引き起こす悲惨な現実に思いをめぐらすことは果たしてあるのだろうか。そう思ってしまうほど、この男の「戦争する国」への“壊憲”暴走は止まらない▼この男、安倍晋三の私的懇談会「安保法制懇」が政府の憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を容認するよう提言した報告書を提出し、安倍晋三はパネルを使った記者会見でその方向への進路を得意げに語りかけた。異論、批判を寄せ付けず、ただ自らの政治信条を押し通そうとする姿は、自らの信条に陶酔しきっているか、その幻覚に取りつかれているのかとしか、筆者には映らない▼が、その一方での姑息さも相当なものだ。次々と出してくる改憲のための政治手法そのものが姑息だが、例の、ほぼありえない事態を絵にして子ども騙しのようなパネルを見せながら、国民の情緒に訴えて自らの信条に引き寄せようとするそのやり口は、いかに国民を煽り立て、いかに国民を騙すかということしか考えていないのか、とも思わせる▼原発再稼働、労働法制の総破壊への突進と、もはや“壊国の士”だ。この安倍内閣打倒が今や民衆の政治的スローガンにならなくてはならないはずだ。
- 集団的自衛権行使容認問題
「戦争参加はノー」と怒れる創意ある大衆運動で対抗を
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従来の自民党政権すらが長い間、憲法の制約で行使できないとしてきた集団的自衛権を、安倍政権は閣議決定によって憲法解釈を変更し、行使できるとする策動を進めている。
この安倍首相の暴走を訝しく思い、不快の念を募らせている人は少なくないであろう。ただの暴走ではない。危険物をいっぱいに詰め込んだ袋を背負い、腰高で前のめりになった姿は異様であるが、われわれはそれらの危険物を使わせてはならない。たとえ、自爆テロであろうともさせてはならない。大事に至らないうちに取り押さえなければならない。
強さを誇る安倍政権の実態
いかがわしい袋の中身を処理する前に2、3の問題に触れておこう。ひとつは強さを誇っている安倍政権の実態である。2年前、安倍は着実に自民党をまとめて総裁、首相の座を射止めたのではなかった。人気絶頂に見えた維新の会に色目を使う安倍に関して、右寄りに異存はないが対抗して保守本流は自分たちで握っていたいとする自民党の中のグループの、御曹司にご帰還を願う運動によって安倍政権は誕生したのである。ブレることと担がれて得意になることは、政権に押された焼き印である。
相次ぐ政権の破綻と福島原発事故などでイラつきを感じていた財界は、目くらましであれ、瞬間光を放ったアベノミクスに支持を与えた。大企業最優先の経済政策と賞味期限内で、という条件つきである。
マスコミがつくりあげた人気も、安倍政権には大きな追い風であったが、安倍は国家主義の推進と自己の「リーダーシップ」こそが追い風の源であると感じている。このため、安倍の政策運営はつねに右へ右へという方向性と独裁性が宿命づけられ、譲歩、迂回、妥協という選択肢は排除されている。
安倍政権の危険性への注意は怠れないが、それが万全の準備と態勢を整えたものではなく、国民を長期にわたって惹きつけ得るものではないという垣間見える脆弱点を見落とすこともできない。われわれが集中力と粘り強さを発揮するならば、大衆闘争の芽生えと成長は可能である。
集団的自衛権の行使は戦争
さて、袋の中身の検討に入ろう。第1は集団的自衛権という粉飾された言葉である。国連憲章は、国家が行う戦争を自衛権の行使としての自衛戦争以外には認めていない。このため自衛であろうとなかろうと戦争は自衛権の行使と称する以外にない。自衛権の行使は戦争のまたの名である。わが国では自衛権の行使を云々すること自体が本来憲法に抵触するのである。
1954年の自衛隊発足(保安隊に代わって)時に、海外派兵を禁止する国会決議がなされ、個別的自衛権のみが容認されることになった。これによって憲法第9条は半分壊死状態に陥ったが、集団的自衛権は容認しないという残り半分によって、わずかに生命を保つことができたのである。
したがって集団的自衛権の容認は第9条、つまり戦争放棄・戦力不保持に完全な死をもたらすことなのである。集団的自衛権容認イコール憲法9条の改悪、集団的自衛権の行使イコール戦争という等式を安倍は胸に収めながらも、戦争への参加という文言だけは固く封印している。われわれは、国民大衆が「集団的自衛権ノー」というオブラートに包んだ言葉を超えて、「戦争参加ノー」という真実の言葉で、公然と怒りを語るように活動を強めなければならない。
憲法蹂躙の政治手法と虚偽傲慢な論理
第2は、多色に塗りたてられた憲法蹂躙の手法の数々である。閣議決定によって憲法解釈を変更しうるという虚偽傲慢な論理である。憲法の定めにあるように、国会は国権の最高機関である。行政権力が安易に弄ぶことができないところに憲法の憲法たる所以があるのである。解釈の名によって本質がねじ曲げられた歴史を振り返れば、解釈を行政府に委ねることはできない。
首相の私的諮問機関「安保法制懇」の答申を援用して、これを神のお告げのごとくに扱おうとする政治手法は反民主主義の極致である。安保法制懇の正統性を問われた北岡座長は「私的なものに正統性などあるはずはない」と開き直っている。この面々は審議にあたって国民の存在を意識したであろうか。ただあったのは、安倍に奉仕する気持ちと集団的自衛権行使容認のための催眠術まがいの指南書をつくりあげようとする努力であったろう。
「正統性などあるはずのない」安保法制懇の見解を天の声に仕立てる→閣議決定で解釈を変更して、集団的自衛権の行使(つまり戦争参加)は合憲とする→手垢をつけ、空洞化した段階で→形骸化した国会審議、というのが安倍のロードマップであろう。
対抗しうるものは、どんな険しい道であろうとも創意と粘りを結集する大衆闘争である。
今村 稔(労働大学副学長)
- 私たちの話し合い
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昨年末、寮生活を送る18歳の息子が冬休みで帰省したおりに、安倍首相の靖国参拝をきっかけに、珍しく熱の入った話し合いをした。
日頃おとなしい彼が首相の靖国参拝を是とし、隣国の抗議を内政干渉だと断ずる強い思想を持っていることに驚かされた。
このことをきっかけに日本軍の慰安婦問題に関しても議論になり、彼が寮に帰ってからもメールでのやりとりが続いている。私一人の漠然とした意識と知識では対抗できず、頼りになる友人に意見を求めたり、参考資料を教えてもらい、私自身も勉強になったし、自分の考えを整理する貴重な経験になった。その点ではきっかけをくれた息子に感謝している。
もちろん、資料を読めば読むほど、国を代表する公人は靖国参拝をしてはいけないと思うし、日本軍の行った慰安婦制度には、過去のこととはいえ、許せない、許してはいけないという思いを強くしている。
ところが、息子の思いも相当強いのだ。結構たくさんの知識と情報も得ている。
彼の伝えてくれる情報源には参考になる面も確かにある。しかし、18歳の若者が「戦争には良い面もあった」などと本気で主張するのを聞くと大変心配なる。どうも現代の日本社会には彼のような若者も多いらしい。東京都知事選で田母神候補に投票したような人たちだ。
私の息子を含め、彼らは若く、多分純粋だ。そして実体験が非常に少ないだろう。息子は、自分ではネットを通じて世界中とつながっていると思っている。ネットでの情報収集に頼らない私たちの世代を軽んじている面がある。
確かにネットを通じて得られる情報は莫大なものだろう。だが、量の多さと真実への距離は比例するものだろうか?いくら多くても、全体的に偏っているかもしれない。私は、私が今まで生きてきて得た情報だけでも十分世の中の真実を見抜いていると思っている。人間の本当の幸せとは、人権とは、平等とは、目指す社会の在りようとは、どんなものかを今のままでも語っていける。
一方、私が頼った友人は、息子の件をきっかけに「仲間内だけで盛り上がるのでなく、私の息子の視点で改めて検証し、私の息子も納得させることができるように」と新たに勉強会を始められたらしい。私や息子の住所が岡山で、神戸での友人の活動に参加できないのが残念だ。
さて、私たちの話し合いは今後どのように進んでいくのだろう。
T・Y(あけびの会)
- 外国人の契約社員は使い捨てか?!
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ペルー出身のAさんから相談が入った。ゴム製品製造会社で契約社員として約2年半働いてきたが、上肢に負担がかかる作業を続けたため、肩、背中の痛みが強くなり、左手の人差し指と中指は痛みが激しく曲がらなくなった。そのため、昨年秋、診断書を添えて会社に他作業への転換を求めたのだが、異動先の作業はさらに上肢に負担のかかる内容であった。
Aさんは、「日本人は、3ヵ月毎に仕事をローテーションするのに、なぜ私だけキツイ仕事を2年半もさせられるのか?」「作業を変えてくれたけど、なぜ前よりキツイ仕事をしないといけないのか?」と訴えたが、会社は全く聞き入れなかった。
Aさんはそれでも我慢して働いたのだが、体はもう限界を超えていた。さらに追い打ちをかけるように、会社は次回の契約更新は行わないと通告してきた。契約期間が終了する5月末での解雇宣告である。
この会社には労働組合がある。Aさんは体の不調のことや契約が終了することを組合に相談したが、「契約社員の問題は対応できない」との応対だった。
Aさん曰く、「正社員は3ヵ月毎に仕事をローテーションするけれど、私と同じ病気で休んでいる人が何人もいる」とのこと。そして、仕事がきつくて困っている正社員を見かけたら、「見ないふりができない」とAさんはいつも手伝っていたのである。「お互いさま」は日本の文化ではないのか。
サッカーが得意で、体格の良いAさん。体格が良いからきつい仕事を担当させたのか、外国人だから担当させたのか。けれど、人間だから過重な労働が続けば壊れる。現在、痛みは指、手から腕、背中、頸、顔面へと拡がり、夜も眠れない状態が続いている。痛みや辛さは、本人にしか解らない。しかし、その痛みや辛さを解ろうとしない限り、同じことが繰り返される。
「子どもたちとサッカーがしたい」との思いを早く叶えさせてあげたい。
西山和宏(あかし地域ユニオン委員長)
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