「新社会兵庫」 5月20日号
- 生活のために、白い物を黒いと言わねばならないことほど不幸はない。中学生の娘に父は言った。結婚すれば幸せになるというが、突然夫に先立たれたら、幼い子がいればどうして暮していくのか。子どもを抱えて仕事を探すのは容易ではなく、女を売るか、嫌でも再婚先を見つけるかしかない現実だ。そんな生き方が嫌なら女性であっても何とか自分は食べていける仕事を持ち働き続けよと▼娘は、「働く」ことは人が自分を大事にして生きるための基本だと受け止めた。一番平等に近い職場と選んだ公務員でさえ「女性が一人の人間として」扱われない壁に突き当たるたび職場の仲間と乗り越えたが、いつでも最初の壁はその「職場の人達」であった。互いに安売り競争をさせられていると気付かない間は壁であり、自分たちの置かれている位置が分かれば仲間になった。「自分達がした苦労をこれからの人達も味わえとは言えない」。拠り所は、自分たちが当たり前に働き暮らす日常を権利として肯定し、保障の責務を国に負わせている日本国憲法だった▼戦時、一人の人間が顧みられることはなかった。平和で自分を大事に生きたい人間の「たたかい」の場に憲法はある。青葉に光る日差しのように。
- 9条の破壊を断じて許せない/集団的自衛権行使容認にノー
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いま、重大な岐路に立つ平和憲法
私は、ちょうど2年前、本欄で「改憲の本丸は前文と9条」―改憲阻止戦線の強化・拡大を―と、訴えさせていただいた。
この年の憲法記念日を前に自民党が、前文を全面的に書き換え、9条に「自衛権の発動」を規定し、集団的自衛権の行使容認と「国防軍の保持」を明記した「日本国憲法改正草案」を発表した時だった。
そして、憲法施行67年のいま、憲法が重大な岐路に立たされている。安倍政権が「海外で戦争する国づくり」をめざし、憲法の解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認しようとする企てのことである。
「9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されていない」(1981年の政府答弁書)―歴代政権の一貫した憲法解釈である。
50年余にわたって議論を積み重ねてきた歴代政府の憲法解釈を、一内閣、それも安倍首相の私的諮問機関にすぎない「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の報告書に基づいて変えるなど、とうてい許されようはずがない。内閣の解釈変更で覆すことができるなら立憲主義の否定につながる。
「政府や国会の解釈で憲法の意味が確定してしまうということになれば、『統治権に対する法的制限』としての立憲主義の意義は大きく失われることにならざるをえない。まさに統治権の主体であり中枢に位置する政府や国会が、みずからに対する制限の中身を決定できるということでは、制限の意味が実質なくなってしまうであろう」(浦部法穂・神戸大学名誉教授。法学館憲法研究所HP)。
安保法制懇の報告書は、これまでの政府解釈を180度転換して「必要最小限度の自衛権の中に集団的自衛権が含まれる」などとする方針である。限定容認論について、宮崎礼壹・元内閣法制局長官は、「集団的自衛権の問題は『我が国が直接武力攻撃されていないのに、他国の防衛のため武力行使をしてよいのか』という問題であって、どこかに線を引いて『ここまでは合憲、これを越えたら違憲』とできるような性質の問題ではない」と指摘し、「集団的自衛権の行使ができる国家にする必要が真にあるのなら、……国民に説明し、憲法改正の手続きを経るべきだ」と、解釈改憲を手厳しく批判している。
戦争放棄と戦力不保持および交戦権の否認を定めた9条と、日本が直接攻撃されていないのに武力行使ができる集団的自衛権とは、相いれない。集団的自衛権は、「米国と手を携え」(1月の首相施政方針演説)「海外で戦争する国」づくりの要である。これこそが安倍首相が掲げている「積極的平和主義」に他ならない。集団的自衛権の行使を容認すれば、海外での武力行使を許さない「歯止め」になってきた9条の意義が失われる。
あらためて憲法の平和主義をかみしめよう
憲法の最も重要な特徴が平和主義であることは言うまでもない。前述のように平和主義が破壊されようとしている。その意義を再確認し、憲法を次の世代にしっかり手渡さなければならない。
侵略戦争の反省のうえに立った、現行憲法前文は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」という決意を明らかにし、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成すること」を誓ったのである。
この前文の決意をうけ、憲法9条は1項で戦争放棄、2項でそれを確実なものとするため戦力の不保持と交戦権の否認を明記した。
浦部法穂・神戸大学名誉教授は、憲法の平和主義について次のように説かれている。 「平和への念願や、その具体化のために戦争放棄を定めるといったことは、諸国の憲法や国際条約に、例がないわけではない」とし、国連憲章やフランス憲法、イタリア憲法、ドイツ基本法を例にあげながら「日本国憲法は、これらの国際条約や諸国の憲法よりもさらに一歩進んで、(2項によって)戦争放棄を現実のものとするための軍備廃止を宣言している点で、徹底した平和主義に立っているといえる。この点に、日本国憲法の平和主義の世界史的な意義があるのである」と(『憲法の本』)。
この「世界史的な意義」をもつ9条が海外での武力行使を許さない歯止めとなってきた。歴代政府はこれまで、自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力組織」であるから9条に違反しないが、海外派兵や集団的自衛権の行使、また目的、任務が武力行使を伴う多国籍軍への参加は、「必要最小限度の範囲を超える」から憲法上許されないとしてきた。
「世界史的な意義」を持つ9条をめぐる攻防は、今、重大な局面を迎えている。
海外で戦争する国にしてはならない!
殺し、殺される国にしてはならない!
集団的自衛権行使容認「ノー」の叫びをあげよう!
中西裕三(新社会党兵庫県本部元書記長)
- 映画の誘いのメール
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3月の初め、昔の同僚の友人から映画への誘いのメールが届いた。私はそれを見て目を疑った。彼女から映画に誘われたことは、今までなかった。でも、だからではない。その映画のタイトルを見て驚いたのだ。
その映画は、誘うなら私からであっても彼女からは誘われないであろうものだった。そのタイトルは「標的の村」である。彼女は政治問題に積極的に行動する人ではない。
話によると、彼女と私の共通の知人であるAさんから誘いの手紙をもらったので、「あなたも行かない?」と軽い気持ちで私に連絡をくれたらしい。私もAさんから手紙をもらっていた。でも私は、一人でいくつもりでいた。Aさんは、この映画の自主上映に共感して、積極的に協力している人だった。私は、Aさんのおかげで、2人で映画を観に行き、おまけに、久しぶりに2人でランチすることもできた。Aさんには本当に感謝である。と同時に、私の行動力のなさをちょっと悔いた。
神戸学生青年センターで行われた「標的の村」の上映会は、映画というより、昔の幻燈を思い起こすような小さな画面だった。前から2列目に座った私が後ろを振り向くと、はるか後方まで人であふれていて、画面が見えるかどうか気の毒なほどだった。そして、それだけたくさんの人たちを集めたAさんたち上映支援者の人たちに頭が下がる思いだった。
見終わって2人で話したのは、ドキュメントの中心になっていた家族のお父さんのことだった。その朴とつとした、家族思いの彼に2人とも引き込まれていた。あんないい人がどうしてあんな目に遭わねばならないのと……。
映画の冒頭に映し出されたのは、沖縄特有の森の中の清らかな小川に遊ぶ子ども達だった。それは、彼の子ども達。彼は子沢山だった。小さなレストランを夫婦で開いて、畑でもくもくと野菜を収穫する毎日だった。平和そうな日常を映しているはずだった。きっと沖縄戦のときは、この森の中も人々は逃げ惑ったところかもしれない。その後、ベトナム戦争時に米軍の攻撃練習の仮想村として「標的」になっていたという。今、子ども達の遊び場になっても、この小さな村は、基地に囲まれ、オスプレイが飛び交うところとなろうとしていた。彼がただ家族の生活を守るために、豊かな自然の中でのくらしを守るためにしていることが、国という権力によって壊されていくことが、本当に許せない。素手の者は座り込みをすることしかできないのに……。それを国が裁判に訴えるとは……。
もうひとつ、このドキュメント映画が大きな賞を取っていたのにもかかわらず、私たちはこの村のことを全く知らなかったことで、今のマスコミの動きと合わせても許せない。消費税増税の前、何を買っておくと得なのかとばかり流していたマスコミ。でもそれを観ていた私がいた。なんか、頭をがんと叩かれたような気持になってくる。
とにかく、私は彼女のおかげでゆっくりと映画を観ることができた。会えたついでに「ろっこう医療生協」への加入を勧めた。「ちょうど将来の介護のことも考えないといけないと思っていたところ」と言ってくれた。「それで、どんないいことあるの」と聞かれたので、「まずは、『健康いちばん』という新聞が届くからね」と言って、ちょっとお礼をした気分になった。
(M)
- 高齢者運動拡大を 熟年者ユニオンが総会
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熟年者ユニオン(今村稔会長)は4月25日、第15回総会を開催した。ここ数年、高齢者にはより厳しい生活が押し付けられてきている情勢の中での開催であった。
この1年、東北視察、とりわけ福島への視察はこれまでにない取り組みであり、3月6日には「原発事故被害者相双の会」会長を務め、私達の視察でもお世話になった國分富夫さんを迎えた報告会も開催してきた。また、4月6日には兵庫県高齢者団体連絡会(熟年者ユニオン、明日を考える東播高齢者の会、西はりま熟年者の会で構成。略称は兵高連)による初めての講演会の開催もできた(いずれも『新社会兵庫』で報告させていただいた)。これらの取り組みで言えることは、原発問題や高齢者福祉問題に対して多くの人が問題意識を持っていることが明確になったことである。いずれも予想を上回った参加者数に現われている。
もう一つは、神戸市の敬老パスの問題である。有料化以降、無料に戻せという要求を掲げ神戸市と折衝を行なってきた。昨年の市長選挙では敬老パス問題で立候補者に対して公開質問状を提出し回答もいただいた。昨年は、あわはら富夫神戸市会議員にお世話をいただき神戸市との折衝ができた。結果、4月から敬老パス乗り継ぎ時、1回目の下車から2回目の下車まで60分以内ならば2回目が無料になる制度(ICカード)が導入された。そのことは私達の運動の成果であることが確認できた総会であった。
さらに、月1回のサンドイッチマンデモも4月で115回となり、熟年者ユニオンの活動の重要な取り組みとなっている。
原発問題では、関西電力神戸支店への申し入れと面談も行なってきた。5月19日には第3回目の面談を行なう予定になっている。
団塊世代が高齢者の仲間入りとなるが、その仲間達を組織する課題もある。熟年者ユニオンとしても、兵高連としても、県下に高齢者運動を拡げていくことを確認して総会を終えた。
横林賢二(熟年者ユニオン事務局長)
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