「新社会兵庫」 2月25日号
 厳寒の中、梅の香が春の近づきを知らせる。しかし、風流を嘲笑うかのように怪しい動きが引きも切らない▼安倍政権の磁場には不可解な磁力が働くのか、NHK問題に限っても、籾井、百田、長谷川など奇怪な粒子が引き寄せられている。交代の必要なしと言われていた前会長に代わった籾井会長は、そのせいもあってか、就任早々、政権ベッタリの贔屓の引き倒しを演じてしまった▼安倍擁立運動のご褒美か、経営委員になった長谷川は、人間宣言をし、国の象徴になった天皇を政治の場にしつらえた神の座に祀ろうとし、自らの非常識をもって常識に挑戦するとしている▼いま一人のご褒美組の百田は都知事選で「大東亜戦争は侵略でなかった」と反省を拒否している田母神を応援した。大衆を前に他候補は「人間のクズ」と罵倒した。彼にとっては、安倍も田母神も同質のものだったのである▼安倍は心の片隅には舛添よりも田母神に近親感を抱いていたのではないか。そうではないという証明を見たいものである▼安倍自民党に右側とはいえ、民主主義を守るギリギリの壁はあるのだろうか。あるとしても右に通じる穴でボロボロなのではないか。あるいは、触れれば崩れる腐食状態なのではないか。
「集団的自衛権」の解釈変更を許すな
改めて憲法から「自衛権」の検証を
 第2次安倍政権発足から1年余、安全保障・防衛政策が矢継ぎ早に打ち出され、「戦後レジームからの脱却」「憲法改正は歴史的使命」という安倍首相の強い意志が着実に実現の方向に向かっているように見える。このことは、憲法9条はおろか日本国憲法そのものの全面改憲が現実味を帯びてきていることであり、大変憂慮すべき深刻な状況である。
 自民党は全面改憲のたたき台としてすでに「改正草案」を、同様に9条、平和主義改悪に向けては「国家安全保障基本法案」を発表している。同法案はこれまでの安全保障・防衛政策等の合理化、さらには「戦争のできる国」づくりの体制整備の性格を持つ。具体的には安全保障会議の効率化、機能強化や秘密保全法制の必要性を明記し、別途法整備をすると規定している。これはまさに、昨年、成立させた国家安全保障会議(日本版NSC)設置法や特定秘密保護法にあたる。この他、武器輸出禁止の解禁や集団的自衛権行使など現在、論議をよんでいる課題も含まれている。政府・与党は同法案をさらに詰める必要からか、また法案提出による内外への影響を懸念してか上程時期を示していないが、いずれにしても、この法案を「分解」した日本版NSC設置法や特定秘密保護法は成立しているのでこれらを統括する同法案の提出は必定だ。
 これと連動して重要な役割を果すのが4月にも集団的自衛権行使の容認や自衛隊の海外への積極的展開等が盛り込まれるであろう、安保法制懇からの「報告書」答申である。今通常国会等の答弁で、安倍首相は、安保法制懇答申を受け政府・与党間で集団的自衛権行使容認に向けて調整し、最終的には全閣僚の署名による解釈変更の「閣議決定」を行う意向のようだ。太田国土交通相を入閣させている公明党の姿勢が問われよう。この閣議決定を受け、具体的に各種法案審議の際に政府が変更に至った理由を説明することになる。その理由こそ安保法制懇の「報告書」の中身だ。
 私は集団的自衛権行使の是非論の前に基本的な点を押さえておく論点があることを指摘したい。それは国連憲章で「主権国家には個別的・集団的自衛権」が認められている、故に各国は自衛権を保持しその行使も可能だという主張についてである。国際法上認められたとしても国内法である憲法を度外視してよいということはあり得ない。現在、政府は個別的自衛権を保持し、「必要最小限度の自衛のための実力行使」を容認している。しかし、「自衛戦争」は憲法の許容範囲を超え不可能としている。自国への攻撃でさえこれだけ憲法上の制約を受けている以上、自国への攻撃にあたらない「集団的自衛権」行使などは論外といったこれまでの政府の考え方は至極当然なことである。国際法の「お墨付き」で事足れるものではない。
 また、海江田民主党代表が日本領海内で米国艦船が攻撃されるような事態には「個別的自衛権」によって日本は対応できるのではないかと安倍首相に問い、逆に首相から個別的自衛権の拡大解釈ではないかと批判された。要するに、与野党政治家は集団的自衛権のみならず個別的自衛権そのもの、またその行使の範囲について全く理解していないということが伺える。
 その意味で、集団的自衛権に関する政府解釈変更問題に関して、以下の指摘をしたい。@法規範は時代、社会の変化によって変えられるものではない。変更するには法改正が必要である。A憲法9条2項で規定されている陸・海・空軍その他の戦力が否認されている理解に立てば、武力反撃権を中核とする「自衛権」行使のための実力組織は持ちえない。仮に政府の立場に立てば、個別的自衛権の足らざる部分を日米安保条約に基づき米軍が集団的自衛権の行使ということで補っている。然らば日本も集団的自衛権行使が許容されるのならば、「専守防衛以上の過剰な部分」があるということになる。これを「必要最小限度」と言えるのかということになる。また、「足らざる」故、米軍駐留・基地提供を行なっている論拠の正当性が揺らぐのではないか。Bそもそも憲法上、国際法概念で語られている「自衛権」を有しているのだろうか。
 このように「集団的自衛権」行使容認問題は、そのことのみならず憲法の平和主義、第9条の規範的意味に関わってくる大問題である。それでもなお突き進もうとする安倍首相の暴走政治に歯止めをかけなければ、ゆくゆくは私たちの生存をも危うくしかねないと思う。様々な立場・政治信条の違いを乗り越え、越えてはならない一線を守る共同を模索しなければ大変なことになると思う。
鈴田 渉(政治研究者)
つながりを求めて
 昨年の春、労働組合の組合員でなくなった。管理職になったのだ。 最初に話があったのは、登用試験制度が導入される前のことなので、自ら手を上げたわけではないが、断る方法や途中で降りる道があるのだから、自分で選んだことになる。
 夫は有期雇用職員だし、下の子は高校1年生。まだ子育てにはお金が必要で、生活不安もあった。
 組合員ではないので、ニュースや職場要求アンケートは配ってもらえない。物販の回覧も回ってこないし、集会にも参加できない。組合費も払っていないのだから、当たり前か。
 正直、寂しさなどという生易しいものでなく、社会そのものから、はじかれたような喪失感を感じた。
 いままで、自分なりのやり方で、教宣活動に関ってきた。集会で吸い上げた意見を機関会議に持ち寄り、情報交換し、取り組みについて議論をすることが、生活そのものの中に組み込まれていた。平和運動の取り組み、震災の義捐金の協力、原発反対の署名活動等、「組合員である」というだけで、自然にできていたことが、出来なくなったのだ。
 いまは、ほとんど仕事だけで、1日が終わる。
 家に帰って、遅めの夕食を摂り、子どもの制服と体操服の洗濯と、翌日のお弁当の下ごしらえをすれば、お風呂に入って寝るだけの生活。
 とは言え、睡眠に入る前の30分ほどの読書タイムが一番の楽しみでもある。 市立図書館のホームページで、新着図書をこまめにチェックして、読みたい本を予約しておく。人気作家の本は、300人超待ちの場合もあるが、順番が来るとメールをくれるので、最寄の図書館に、土日に取りにゆく。1人で6冊、2週間借りられる。
 次男は、自閉症スペクトラム(発達障害)なので、自然科学、医学の書架を検索すれば、最新の情報も得られるし、小説で主題に扱っているものも読めば、ちからをくれる。最近では、『彼の通る不思議なコースを私も』(白石一文・著)が、お勧めの一冊。
 新年早々、誕生日が来て49歳になった。半世紀か。 労働組合の活動を通じ、もともとは“引きこもラー”なわたしも人とのつながりが広げられていたんだなあ、としみじみ思う。なんだ、ライフスタイルは違っても結局おなじことで悩んでいたんだな、と励まされたことも数知れずあった。
 人生50年といわれていた時代と異なり、あと30年くらいは生きるかも、と思えば、やはり人や社会とつながりながら、次世代の人たちが笑顔で働けるように、生活できるように微力ながら関ってゆきたいと思う。
 (と、いうことで、党友となりました。よろしくお願いします。)
(猫娘)
“マンネリ春闘”からの脱却
 春闘で何をするのか、毎年悩む。ユニオンは個人加盟も多く、会社に通告していない人もいるので、春闘と言っても実際に要求するのは機能している分会だけになることが多い。
 毎年要求する分会は、前年と同じ要求をすることも少なくない。例えば「定期昇給の実施」。これが春闘要求かと思われるかもしれないが、定昇すらまともに実施しない法人もあるということだ。しかし、この数年、定昇を実施している法人でも、分会内でそのことが話し合われず、「昨年と一緒」ということで要求していることも少なくない。
 今年は、そんな“マンネリ春闘”を脱却したい。
 春闘は要求することだけが目的でなく、職場の仲間とどれだけ話ができたか、何を勝ち取ろうと意思統一したのか、交渉のためにどれだけ準備できたのかなどが大事なのではないかと考えている。
 他方、個人で加入している組合員の春闘をどのように提起できるのかは毎年の課題になるが、春闘期に労働条件を見直してもらいたい。例えば、1ヵ月の総労働時間を見直す。36協定を超えるような時間外はしていないか、有給休暇は取れているのかなど。その時に、36協定の時間が気になる、他の職場ではどのぐらいなのかを知るということにつながる。
 ユニオンは「集まる場」を作ることが必要だと思う。仕事に追い立てられる職場の中でムダ話もできなくなっている。話をしないから気持ちが伝わらない。相手が何を考えているかわからないからさらに話をしなくなる。信頼関係ができてないから、小さなこともパワハラになっていく。悪循環だと思う。
 ワーカーズは2月25日に春闘交流会を開く。昨年からの試みだが、分散会を持つことにした。みんなで集まっても、話すことが苦手な人は黙ったままになる。人数を10人以下にすると話しやすくなり、昨年は職場の実態や考えていることなどが、少しだが素直に言えた人もいた。報道されているような派手な春闘ではないが、これも「春闘」を継続していく小さな灯火になればと思う。
木村文貴子(神戸ワーカーズユニオン書記長)