「新社会兵庫」9月10日号
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例年8月15日は南京。今年も虐殺記念館での平和集会だった。集会翌日、いつもはけっこう地元紙をにぎわす日本からの参加団体、とくに「神戸・南京をむすぶ会」なのだが、今年は少し違って、紙面の多くを割いて報道されていたのは靖国をめぐる安倍の対応、閣僚たちの参拝の様子だった▼記念館にはもちろん南京虐殺に関連する膨大な展示があって、この一連の蛮行を訴因として東京裁判で有罪を認定され死刑になった当時の中支那方面軍司令官・松井石根も、他のA級戦犯とともにこの靖国に祀られている。それ故に日本の政府や閣僚たちがどのような対応をするのか、南京や中国のメディアが過敏になるのも故なしとしない▼道理ある批判は積極的に受けとめ、外からの批判の有無にかかわらず、むしろ自らすすんで正しい歴史認識、アジアの人々と共有できる認識を確立していかなければならないと思う▼とくに安倍内閣がゴリ押しに集団的自衛権の解釈変更、「領土紛争」を奇貨として自衛隊装備の高度化などをめざしながら、事実上の「国防軍」創設に向かっている今日、改めてそう思う。南京から回った台湾でも、かつての日本があちこちに様々な傷跡を残してきていることを知った。

- 社会保障制度改悪
生保費切り下げは突破口 介護保険改悪も待ち受け
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8月から始まった生活保護費の切り下げ
参議院選挙が終わるのを待っていたかのように今、次々と私たちの暮らしを揺るがす社会保障制度の改悪がなされようとしている。
その突破口として、この8月から生活保護費の引き下げが始まった。現在、生活保護受給者は全国で約215万人(約158万世帯)。その約96%の受給者に減額の影響が出ると言われている。今後、第2波、第3波と続き、2015年度までに約6・5%切り下げられる。今までにない過去最大の引き下げで、生活保護制度は最後のセーフティネット≠フ体をなさなくなる。
しかしながら、この間、お笑い人気タレントの母親問題、与党女性議員の「生活保護というのは日本の文化からすれば恥」等の暴言、小野市の「福祉給付制度適正化条例」制定等々に見られるように、国や自治体による凄まじい生活保護バッシングが展開される中、生活保護受給者にとって、声をあげたくてもあげられない状況が周囲につくり出されている。それだけに、このたびの改悪に歯止めをかけられなかったことを残念に思う。これ以上の改悪を許してはならない。
高負担を強いる社会保障改革案
先般、「社会保障改革国民会議」が提出した報告書をもとに、医療や介護、年金などの法整備の骨子が閣議決定され、秋の臨時国会を経て、来年度以降実施されようとしている。主な内容は、医療では、70〜74歳の高齢者の医療費の引き上げ(現行1割から2割へ)や国民健康保険の都道府県への運営移管、介護では、介護認定の軽度者の切り離し等々で、総じて高所得者や高齢者への負担増が特徴的だと言える。
現行の介護保険制度の問題点
この中の一つ、介護について考えてみたい。2000年に始まった介護保険制度。それまでは、妻であり、「嫁」であり、娘である女性の肩に重く介護の負担が圧しかかっていた。しかし、長寿化・核家族化の流れの中で、家族介護の限界がみられ、介護の社会化が叫ばれるようになった。そのような背景のもとで生まれた制度である。
13年を経て、多くの課題が出てきた。団塊の世代が75歳以上となる2025年に向けて増え続けていく介護保険料、ランクが軽度になっていくという、実態にそぐわない介護認定、高い離職率・低い定着率の介護労働従事者の劣悪な待遇等々……。介護の社会化については評価できるものの、保険方式≠ノしたことに大きな問題があったと、今も思っている。
「要支援」切り離しは契約違反
この状況にさらに追い打ちをかけるように、このたびの改革案では、介護認定の軽度者「要支援1」「要支援2」の高齢者(約150万人)を介護保険制度の対象外にし、それを支える介護サービス事業を段階的に市町村に移すことが盛り込まれている。多くの自治体は現在検討中だが、厚生労働省は、以前から介護認定のランクの一つに「要支援」枠を作り、将来的にそれを切り離す準備をしてきたと言われている。それらの背景には、超高齢社会に向けて、年々膨れ上がっていく給付費削減が狙いとしてある。
今後、「要支援」の切り離しが実施されれば、介護保険制度の財政で上限付きでの財源は保障されるとはいうものの、介護保険制度のような全国一律の基準がなくなり、市町村の裁量によることになり、介護の質の低下をもたらしかねない。また、介護サービスの利用料も、介護保険制度では一律1割負担だが、負担増もあり得る。その結果、自治体間格差を拡大させることになる。
そうなると、「要支援」の高齢者は、十分な介護サービスが保障されなければ、自立した生活の継続は困難になってしまう。そして、それは、「要介護」者の増加に、また回り回って給付費の増大につながるという、まさに悪循環を生み出すことになる。
「はじめに制度ありき」の介護保険制度のもとでは、私たちの老後の安心≠ヘ保障されない。そもそも介護保険制度の趣旨からすれば、このたびの「要支援」切り離しの改革案は、れっきとした契約違反≠セ。
小林るみ子(神戸市会議員)
- 選挙に参加できること
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私の母は先の国政選挙を棄権した。多分、人生で初めてのことだと思う。
今年3月末に自宅で倒れ、救急入院となり2カ月の入院生活。不整脈からくる脳梗塞で右半身が動かず、言語障害(発音が難しい)を伴い快復の見通しは暗いものだった。入院中に82歳の誕生日を迎え、手厚い医療と早期リハビリ治療が順調に進み、点滴(病院は嚥下障害による窒息が心配なので点滴治療を促す)が外され、自力での経口栄養の補給へと移行することができた。入院中に市役所から介護認定調査が入り、要介護度5という診断を受け、病院の退院と同時に施設の方が迎えに来られて介護施設へ入所となった。
私は明石市在住で実家は埼玉県。書類の諸手続きは土日が使えず、夜行バスで上京。月に2回くらいの往復が続いている。7月上旬に実家の郵便受けに溜まった郵便物の中に「投票所入場券」があった。私は期日前投票を済ませていたが、自力で投票所へ行けない母にどうしようか……。本人に選挙に行く気があるか尋ねると、しばらくの沈黙の後、「行かない」と言った。
太平洋戦争後に女性にも選挙権が与えられ、男女平等。戦争放棄が明記された憲法が制定され、戦前とはがらりと変わった世の中になっただろうと想像できた。在京の兄を頼って地方から上京した母の胸の内にはどんな希望があったのだろうか。田舎からやってきた小娘においそれと仕事は無く(多分)、兄宅での家事手伝いをして紹介された父と結婚。あとは高度成長まっしぐらの、総務省が掲げる核家族化の中で、教育熱心で、郊外の戸建の住居を求めて節約と貯蓄に励み、少しずつ無意識のうちに自己実現をしていたのかもしれない。しかし、本当にしたいことは何だったのだろう。自分の生き方を考える10代のころは、学徒動員で学校へ行かずに軍需工場へ向かう日々からいきなり敗戦。
亡き父(つまり母の夫)の職場は東京・千代田区にあり、全国組織のある中央労働組合の組合員としてマジメに活動していたと思う。選挙のたびに動員されて、張切って労組が推す旧社会党の議員の応援に出かけていた。地方選挙の市議選などは友人が出馬しているから、母も裏方やウグイス嬢=Iとしていきいきと手伝っていたことを覚えている。
病を得て、地域の福祉制度に支えられ、少しずつ回復して不自由だった右手もスプーンでの柔らかい食事が自力でできるようになった。しかし、以前のようにしっかりした文字を書くことは難しい。そして、一人の国民としての意思表示をする「選挙」に参加することはもうないかもしれない。
(I.T)
- 労働会館廃止と労度運動の弱体化
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ユニオン運動の紹介コーナーだが、今回は尼崎労働福祉会館の廃止問題で突きつけられたことを報告したい。
尼崎は「労働者の街」といわれ、労働運動の盛んな地域であったがその力量の低下は否めない。その象徴的な出来事が労働福祉会館と労働センターの廃止であった。
私は、2010年3月に尼崎市が労働福祉会館を廃止すると発表するまで考えてもいなかったので、その提案には驚いた。それでも反対運動を大きく組織することは可能だと思っていた。同年5月に「労働福祉会館の存続を求める会」を結成し、宣伝活動、市議会陳情署名、集会など取り組みを進めたが、尼崎市、市議会に労働福祉会館の廃止を断念させるほどの大衆運動をつくり出すことはできなかった。
私たちは、労働者のための施設があり、労働組合事務所が入る行政の施設があることはあたりまえだと思っていた。市民の圧倒的多数は労働者であり、労働者の権利を守るために労働組合がある。納税者たる労働者に行政が財政的支援をするのはあたりまえだと思っていた。
ところが静かに労働福祉会館廃止への流れは作られていた。私たちと一緒に運動してきた市議会議員から、労働センターの労働組合事務所の家賃が安すぎるという批判が出されるようになっていた。大阪の橋下の主張とよく似ている。
労働運動の弱体化は、労働組合や勤労市民の集まる場をも奪ってしまった。守り切れなかったことに申し訳ないと思うとともに、なぜ一緒に闘いに立ち上がれなかったのかと愚痴りたくもある。労働福祉会館利用者から、廃止後に苦情が寄せられた。しかし、もう遅いのだ。
労働組合はもちろん、市民は闘うべき時に闘わねばならない。自らは汗をかくことなく評論しかしないでは、権利を守ることはできない。そして市長や行政、市議会は一体何をする組織なのか、突きつけられた。同時に、闘うことをやめた労働組合とは一体何物なのかと思った。
労働福祉会館はつぶされたが、労働組合はいま声を上げなければ後悔する。まだ間に合うと思う。
小西純一郎(武庫川ユニオン書記長)
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