「新社会兵庫」 11月27日号
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- 昔、「ムチャクチャデゴザリマスルガナ」というギャグが一世を風靡した。古い話で恐縮だが、『太陽の季節』「太陽族」ほどは古くない。政治の現状はこのギャグを思い出させる▼「太陽の党」もその類である。「原発も消費税もたいしたことではない。肝心なことは俺がヒーローになることだ」といわんばかりの80歳老人が、霧の彼方の栄光≠呼び戻すために、この言葉に頼ろうとした。立冬から冬至に至る太陽が弱まるといわれる季節にである。果たせるかな僅か5日で「維新」の薄雲に包まれてしまった▼「維新」の語が、未来の同義語であるような誤解を生み出したのは、司馬史観の罪か。世界の歴史学では維新は「restoration」の語で説明されている。イギリスでもフランスでも、反革命としての王政復古がこの言葉で語られている▼日本でも戦前は明治維新の柱は王政復古と教えられてきた。そのため「維新」は右翼の聖なる言葉であった▼政治の本質的な理念や価値観を政党名に盛り込むことをことさら避けて、感覚、感性に訴えようとする流行は、明らかに政治の腐敗現象である。「みんなの党」は英語にすると「オール(みんな)」と「パーティー(部分)」の組合せで、詐欺師を自称するに異ならない。
- 漂流日本B 帰路に立たされる日本の政治
安倍自民党 日本維新の会 超保守反動への懸念 -
来る総選挙で私たち国民がいかなる選択をするのか、今まさに問われる。その意味でも民主党政権の総括と政権復帰を目指す自民党、そして「第三極」なる政治勢力が何を目指していくのか、どういう国づくりを行おうとしているのかを正しく認識する必要がある。
まず何故、前回総選挙で自公政権が退場したのか。それは小泉構造改革路線が「優勝劣敗」を是として「格差社会」、「貧困問題」をもたらしたことである。これに対し、民主党はこれを是正しようと、最低保障年金創設や高校授業料無償化・子ども手当など教育や福祉を中心とする国民生活の再建・充実を訴え、多くの国民の支持を集めて政権を獲得した。この時点では少なくともこの理念・方向性は間違ってはなかったと指摘できる。
ところが、民主党政権を概観すると、鳩山政権での「普天間飛行場」移設公約の裏切り、菅政権での「財政再建・消費増税提起、TPP(環太平洋経済連携協定)による平成の開国論」、さらに「東日本大震災」での対応、そして野田現政権による「原発再稼動」、「税と社会保障一体改革」における消費増税・社会保障制度改悪(自民党の“自助を基本とし公助を限定的に”とする改悪)、TPP交渉参加など、政権獲得時の理念とは全く逆の、国民生活を根本的に破壊し経済界が歓迎するような政権へと変質していったのである。
国民の期待は失望へと大きく傾き、政治不信が増幅、「自公」・民主いずれの政権にも期待できない世論が急上昇し、行き場を失った有権者は新たな「第三勢力(第三極)」へと志向する。
それが橋下大阪府知事(当時)率いる「大阪維新の会」や河村名古屋市長率いる「減税日本」など地域政党の台頭である。特に「維新」は「国政政党」をも凌駕し、橋下は「大阪都」構想実現のため大阪市長へ転進、大阪府・市・堺市議会第一党の地位を得、「維新」の国政への影響力は拡大していく。そしてついに自民に次ぐ支持を背景に国政政党として「日本維新の会」を発足させる。「第三極」の先導役であった「みんなの党」はかつての勢いを失い、「維新」との連携を模索、ここに「第三極」結集の動きが胎動する。
さらに10月末、新党結成を目指して都知事を辞した石原慎太郎は、自主憲法制定など復古政策を前面にする「たちあがれ日本」を再編、「太陽の党」を11月13日に結党した。石原共同代表は、「維新」「みんな」などと連携し「日本維新大連合」で「第三極」による政権獲得を目指すことを公言する。「維新」と「みんな」は政策協議がほぼ一致(脱原発・TPP参加・社会保障制度の改悪“増税による現行水準維持か切り下げかの二者択一”・地域主権型道州制等)し、総選挙の候補者擁立問題で調整が難航しているといわれる。
「第三極」結集について石原は脱官僚・統治機構改革などでの「大同団結」で調整しようとしてきた。「維新」は石原個人の発信力に期待するものの「旧たちあがれ」との政策の溝(脱原発・TPP等)は埋めがたく一致点を見出していなかったが、最終的には合流となった。小泉改革路線の継承と思しき「みんな」も、「維新」と同様に「太陽の党」とは距離感がある。その意味では「第三極」結集もパズルのようにバラバラ感満載で政策的な一致点は見出しようもない。ただそれぞれ単独で選挙戦に臨むことへの危機感のみの一致で、野合と言うほかない。
「第三極」の動きを横目に、安倍自民党は政権復帰を企図する。安倍は「保守政党」自民の復活を公言、「新憲法草案」も発表してその実現を、という。自らが手がけた憲法改正国民投票法によりまず第一に「改正要件緩和(議員の過半数)」の実現を目指す。憲法改正(改憲要件緩和)や社会保障政策など、一致する政策での部分連合は積極的に行いたいと安倍総裁は主張している。「自公」と「第三極」は「同質の政治」で、国民の期待するような福祉や教育の充実の政治などではないということは明白だ。
「脱原発・反貧困・憲法をいかす」の実現こそ、震災・原発被害者、経済的社会的弱者の救済と今後の日本の国づくりの指針となりうるべきものである。しかし、前述の政治勢力は厳しい国民の生活状況に目を背き、さらに痛みを与えようとしている。その意味で、私たちは日々の生活に立脚した国政・自治体政策の提起・発信を行っていくことが求められる。危険な道を志向する政治勢力の台頭は日本政治に重大な禍根を残すものであることと、私は警鐘を鳴らしたい。【11月17日記】
鈴田 渉(政治学研究者)
- 「命」
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私は5年前、乳癌に罹患しました。病名を告知された時、ぼう然としてしまい何か自分の事を言われている感じではありませんでした。しかし、すぐに嫌おうなく痛み、腕が上がらない。抗がん剤治療や放射線治療による脱力感、発熱……。そして、水を飲み込むにも喉が痛く、自分で自分の体を如何とすることも出来ず苛立ち、睫毛まで抜け、変わり果てていく姿に、不安と恐怖から死というものを意識させられ、そして、再発への不安な影が私の心を占めるのです。いつもイライラし、小さい事にも腹が立ち、家族にあたっていました。
生かされている、生きたい
そんな私に家族はもちろん、近所の方が枕元で話をしてくれたり、元の職場の仲間が訪ねてきてくれたりました。人と人との繋がりで生かされていることを命の繋がりとして、身をもってわかりました。一人では生きていけないことを。
いま一番心を開いてすべてを話せるのは、「女性会」のメンバーです。月1回の会では不摂生さの指摘や「今日一日、心豊かであったか」「人間らしく生きているか」などと問いかけ、命とは何なのか、振り返り立ち止り考える場となっています。
大切な「命」を切り刻んだ原発
言葉では簡単に言えますが、どう考えているでしょうか。原発による放射能被曝を余儀なくされている福島をはじめ周辺地域の住民や事故の収束作業員たちの被曝、体への影響を考えます。地元周辺の人達は、どれだけ不安や恐怖に曝されているかと思うと、胸が苦しく、落ち込み、「私だったらどうする」と問いかけます。答えは見つかりません。
一人一人の大切な命。今も広島、長崎では原爆症による障害や病気で多くの人が苦しめられています。原発を許してしまった責任の重さがのしかかります。国や東電をはじめ9電力会社に怒りを発し、原発から再生エネルギーにすることです。そうするには私たちは改めて「原発・放射能汚染・核」について向き合わなくてはなりません。原発立地は、漁業権を奪い、豊かな故郷を奪いました。大量の金をばらまき、その後には貧困から来た争いで命を奪いました。家族の中に差別と分断も持ち込みました。
本音で話あえる場「女性会」
次世代に繋げる責任、人と人との繋がりから生まれる命、人を許し、共通点を見つけ結び繋がっていくことが大切だと思っています。それを脱原発市民運動の中で気づかされています。それには、永い時間を要します。
私は日々、近くに住む孫と朝食をとります。ほんの1時間程の触れ合いですが孫達が教えてくれます。素直で正直な言葉や言動から命の尊さ、命とは何かを考えさせてくれます。
一人一人の悩みをすべてさらけ出せる、指摘しあえる、本音で問題の捉え方を考える場である「女性会」。今、それぞれが出来る事しか出来ない。あせらず、諦めず、小さな積み重ねを続けること、一日を大切に生きることが目標です。
(菅野順子)
- メモ化を心がけパワハラへ反撃
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こんにちは。但馬ユニオンの組合員のAです。
『新社会兵庫』に2回目の掲載の機会をいただきありがとうございます。前回の掲載をご存じかと思いますが、私は但馬地方の某教習所に勤務しており、上司から業務を利用したパワハラを受けております。厚生労働省のパワハラの定義で当てはまるのは、特に「〈5〉業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと(過小な要求)」です。
私は教習指導員(インストラクター)として勤務しておりますが、実情を簡単にお伝えすると、教習・指導する資格を取得させてもらえません。車種ごとに教習・指導する資格が必要ですが、他の教習指導員に比べて、かなり少ないです。少ないために日々の業務は雑用(草刈り、清掃など)が多く、それで惨めな思いをしております。
また、給料の中に資格手当がありますが、他の教習指導員に比べると約1万円も差があります。当然、生活にも影響があります。
教習・指導する資格が少ないのは、上司は私の教習・指導方法が悪いからと思っており、私は大差ないと思っております。人の好き嫌いで決めている可能性もあります。あと、教習指導員の数名(いつも決められたメンバーのみ)が担当していた教習・指導を外されることもありました。
私ができることは、とくに目立った出来事(私と他の教習指導員の教習・指導ぶり、失敗、交通違反・交通事故など)をメモすることです。それによって教習・指導する資格に差が出るのかどうかを但馬ユニオンや他の協力していただける方に客観的に判断してもらうことです。
あとは、世間の常識で判断していただくしかありません。そのためには、将来、但馬ユニオンの団体交渉で明らかにしていくつもりです。勝手なお願いですが、皆さんのご協力よろしくお願い致します。
A(但馬ユニオン)
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