「新社会兵庫」 8月28日号
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- アジサイも炎暑に舞台を譲り退場の季節。白から紺に色が移る時の潤いがたまらない、傍らにカタツムリでもいれば涙がでるというほどのアジサイ好きがいた▼彼がふとしたことでアジサイ嫌いになった。美しい女神が純情な若者を騙す神話を知ったからである▼女神の美しさに心を奪われた若者は、彼の思いを訴える。女神はそこに咲いているアジサイを指して、あなたの気持を受け入れましょう、ただしあの花が散り果てるまで待ってください、という▼アジサイは花は枯れても散らないことを知らなかった若者は、食事も喉を通らないほどに喜び、衰弱しながらもひたすら待ち続けた▼この話を聞いて、幾度か美人の残酷さを実感したことのあったアジサイ好きの彼は、若者に共感して一転アジサイを恨めしく思うようになった▼大飯原発再稼働反対を訴えて毎週金曜日に国会や首相官邸に集まる人たちの中に、季節柄もあったのかアジサイを手にした人たちを多く見かけたという。そういえば52年前、安保反対デモで国会が埋められた時も、アジサイは見た花だった▼アジサイ嫌いを装った彼も、宗旨再変更して、手のアジサイがドライフラワーになるほどに運動の継続に努めるべきだろう。
- “熱い夏”―いのちをめぐる闘いはどう発展していくのか
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熱い夏である。代々木公園の「さようなら原発集会」には17万人が集った。官邸前では毎週金曜日、多くの人々が「原発なくせ」と声を上げている。一方、欠陥機オスプレイの配備をめぐって、台風のために沖縄県民大会は延期になったが「島ぐるみ」の構えは続き、岩国で、飛行訓練予定の各地で、反対運動がある。「いのちが第一」という運動である。この運動はどう発展していくのだろうか。
国会原発事故調査委員会の最終報告書には、黒川清委員長の手になる日本語版と英語版、2種類の序文がある。「国内外で使い分けはおかしいではないか」という外国特派員協会での質問に、黒川委員長は「(英語版は)国際社会向けに書いた」と答え、「日本人がこの内容を理解できると思う?」と逆質問した。その「内容」は次のとおりである。〈事故の根本原因は、「日本文化、日本的慣習に根ざしたもの」で、「権威に異を唱えない体質」「計画への固執」「集団主義」や「島国根性」を挙げ、「今回の事故で責任を負うべき立場の人が別の日本人だったとしても、結果は同じだったろう」〉。これに対する外国人特派員の追及は鋭い。〈安全軽視は日本特有ではない。原子力ムラはイギリスにもある―「シティの金融村」。「日本社会全体が悪かった」「日本的慣習に原因」では責任逃れであり、文化のせいにするな〉。
私はこのやり取りに、戦争責任での「一億総懺悔」を思い出す。悲惨な戦争、負ける戦争に動員した支配層、動員された国民、だました奴もだまされた奴も悪いというわけだ。その結果、あいまいに処理された戦争責任、戦後責任がアジア外交に暗い影を落とす(沖縄の犠牲と差別)だけでなく、原発事故処理をめぐって「一億総懺悔」が亡霊のように復活している。確かに黒川委員長のいうように、「日本人的弱さ」がある。さようなら原発1000万人アクションの呼びかけ人・大江健三郎氏も「あいまいな日本人」を批判する。だがそれは、自らの自己批判が伴うときには真理だが、あいまいさ、中途半端の中で己の保身を図る、支配を継続するために権力の側が利用する思想である。
手元に「原発事故被災者・相双の会」ニュース4がある。掲載されているアンケートを読むと、被災地の厳しい現実を映し出す生の声がある。そこにはあいまいさも、中途半端さもない。生きるために譲れない現実だ。
水俣病と向き合った故・原田正純医師は、「水俣病は社会、経済、政治にかかわる複合的な事件なのに、科学的な原因解明だけを医者に丸投げした。学問の壁を取り払い、現場に学んだのか」という。
被爆67年を迎えた広島・長崎では、被爆者が「誰も償いようのないことは、繰り返しちゃいけん」と訴え、被爆者7団体は政府へ「被爆者としては脱原発が至情の叫び」と申し入れた。作家・三林京子さんは「耳を疑ったのは『内部被曝』という言葉が公式に使われたことだ。国は内部被曝という言葉を知っていたんだと思ったら、白とも黒とも言われないで死んでいった友人たちの顔が浮かんできて、国から裏切られるとはこういうことなんだと……国は病気と原爆の因果関係を認めず、原爆症認定を却下……」と告発する。
そうだ。ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ、ミナマタ……、譲れないいのちをめぐる闘いの歴史があり、今も続いている。そこには「日本的文化の下で権力におもねる」姿はない。
そして今、支配者側は過去の経験を無視し、誰も責任を取らずあいまいにし、勝手に「基準」なるものを作り、被曝地・フクシマを分断し、かけがえのない一人一人のいのちをはかりにかけ、差別し、切り捨てようとしている。その上に、首相官邸を取り巻く切実な声を「音」という首相、そして「消費税、原発は信を問うことはしない」と居直る官房長官、という政治がある。
750万の署名を官邸に届け、一顧だにされなかった大江健三郎氏は「私たちは侮辱の中に生きています。……このまま侮辱の中に生きていくのか?あるいはもっと悪く、このまま次の原発事故によって、侮辱の中で殺されるのか」と訴える。
あいまいさを拒否し、「いのちが第一」と「デモ(自己主張)する人」の登場にはこのような背景がある。人間を大事に扱わない社会が続く以上、人間らしさを求める闘いは止むことはない。そして、壁となる政治や企業の裏切りに対抗するアソシエーション(共通の目的や関心を持つ人々が自然的に作る集団や組織)は必ず生まれる。それがつながる時、世の中は変わるであろう。私たちはそのような人々とともに歩くのである。 |