「新社会兵庫」 8月30日号
 「8月15日は何の日?」という質問に「月遅れの盆」と答えた若者がいた。敗戦の年、66年前頃は多くの地方の盆は月遅れではなく、旧暦(太陰暦)で行われていた▼当然のことながら、縁側に下げられた盆提灯の向こうには満月があった。上代の歌垣もかくやと思われた盆踊りの男女の楽しみにも、満月の光は注いでいた▼たまたま本年は、月遅れの盆の8月15日が旧暦の7月16日となり、ほぼ重なった。物議をかもした大文字の送り火も旧盆とほぼ重なったわけである▼冒頭の若者ではないにしても、8月15日については「敗戦の日」よりも「終戦の日」が多数派であろう。しかし、「敗戦」には誤った戦争が当然の帰結をもたらしたという、戦争の意味を問い、反省する気持が投影される▼「終戦」だと、とにかく戦争は終わったということになり、反省や自戒は体よく棚上げされる。8月15日には国家行事として「戦没者の慰霊」が行われる。なぜ戦争犠牲者の慰霊ではないのだろう。戦没者には、「国家による」命令に従ったものという形容句がつく。お国のために命を捧げた「英霊」である。戦争犠牲者の一部が「英霊」に祭り上げられる。「誤りは繰り返しません」というヒロシマの言葉は消える。
「なでしこジャパン」に思う
 「なでしこジャパン」の人気が沸騰している。おそらくほとんどの人が、女子のサッカーリーグが日本にもあったことを知らなかったのではないか。私はもちろん知らなかった。ましてINACというチームが神戸にあることも知らなかった。それが突然ワールドカップで優勝した途端、なでしこ、なでしこ、である。女子スポーツが盛んになり、サッカーも野球も、そして相撲だって女性がやるようになるのは喜ばしいことだと思う。ただ、この「なでしこ」というのがずっと私には違和感があって、引っかかるのだ。
 男子サッカーの日本代表チームの時は「サムライジャパン」という呼び方がマスコミで多用された。この時も私は「サムライ」に違和感を持った。誰もちょんまげしてサッカーやってるわけじゃなし、こんな封建制度における身分階級を表す言葉をなんで使うのか?ヒト斬りや腹切りの嫌なイメージが、私などはサムライという言葉からはまず連想されるのに。多分、サムライという言葉が好きな人は、日本男児とかサムライ魂とか、なんとなく勇ましく(女より)強い男のイメージを抱いているのだろう(失いつつあるものへの郷愁だろうか?)。
 なでしこ、と言えば大和なでしこ。古来、日本女性はおしとやかで男の上には立たず、なでしこのように弱々しく美しい、そんなイメージを花の名前になぞらえて表していると思っていた。つまり過去の(男にとって)理想的日本女性を表す言葉だと。それがサッカーの日本女子代表チームの代名詞に使われているので、そんな弱々しい女性たちじゃないよ!と私は言いたくなるのだ。
 でも私が違和感を抱く原因はそれだけではなかった。先日、垂水の「あけびの会」で戦争体験を聞く集まりがあり、そこで戦時中、男は桜が大和魂の象徴であり、散りゆくこと(お国のために死ぬこと)が美しく、女は大和なでしこという言葉で軍国の母の理想を表したらしいということを知った。そして、男子サッカーの日本代表チームのユニホームに八咫烏(ヤタガラス)がシンボルマークとして肩のところに染められていることも。八咫烏は神武天皇の大和国家建設の神話に登場する3本足の烏で、皇国日本の象徴らしい。サッカー人気を利用して、天皇をいただく日本民族主義を煽ろうとしているのかと疑いたくなる。
 今に始まったことではないと思うが、スポーツはとかく愛国心とか民族意識の発揚に利用されやすい。日本対韓国や北朝鮮との試合など代理戦争と言っても良いような報道の仕方、と思ってしまう。オリンピックも「参加することに意義がある」というのが本来の精神ではなかったか。なのに、そんなことは忘れて、いつもメダルが取れるかどうかにだけ皆の関心は集中してしまっているようである。特に金メダルは「君が代」が流れるのだからなおさら価値があるのだ。
 オリンピックで国歌や国旗はすべて廃止したらよいのにと思う。表彰はすべて個人に対してやればいい。素晴らしいパフォーマンスをすれば、人種や国籍は関係なく感動できるはずである。テニスの世界ではそれがすでに現実になっている。
(垂水あけびの会 F・F)
世代交代への態勢づくり
 7月31日、第25回定期大会を開いた。準備不足だったが、参加者が多かったことがうれしく、大会を円滑に運営するために一緒にがんばってくれた執行委員や大会運営委員の姿もうれしかった。
 大会運営委員会を数年前から設置したが、実際に機能しはじめたのは昨年からだった。今年は2回の運営委員会と1回の作業日を設定し、運営委員会には11人が集まって大会成功に向けて進めたように思う。大会当日、準備には大会運営委員と執行委員が集まり、会場設営や受付など、昨年よりも手際がよかった。
 振り返って考えると、大会運営委員会の参加者はユニオンでは低年齢だった。30代3人、40代4人、50代4人と年代別にバランスが取れていた。平均年齢46歳!!ワーカーズとしては若い。意識したのではないことが、良いことなのか悪いことなのか……。
 今年の目標は世代交代できる態勢づくり。はっきりしていることは、黒崎副委員長に頼ってきたこと。専従になって手探りでやってきたのだから、頼れる人・相談できる人が必要だった。そのおかげで何とかやってこられた。月日が経ち、年を重ね、黒崎さんの引退の時も近づいていると思っている。私たちができる恩返しは、少しでも安心して引退できる状態をつくること。そのためには、活動していく次世代組合員とこれまでの経験や知識を活かす組合員が必要だと思っている。
 最近は何かあるごとに「若い人で」という人もいるが、その言葉が腹立たしく感じられることがある。「若い人」に引き継いでいこうという意識と提案なら受け入れたいが、投げやり的な言葉も少なくない。
 そんな投げやりな言い方に負けないように、今年度は世代交代の準備に入る。30〜40代、50代前半までをターゲットに任務分担を増やしていきたい。60歳を超えた方々には豊富な経験を活かしてサポートしてもらうようにしていこうと考えている。それを実現させるためには、私の自覚と覚悟が必要である。
木村文貴子(神戸ワーカーズユニオン書記長)