「新社会兵庫」 8月9日号
 多くの犠牲者と負傷者を出した中国浙江省温州での高速鉄道事故。信じ難かったのは、乗客の救出活動が終了する前に(そもそもその気があったのかすら疑わしいが)あっという間に現場が片づけられ、それもご丁寧に原因究明には欠かすことのできない事故車両を重機で裁断し土中に埋めた。まるで証拠隠滅のごとき当局の所業には、中国でのこととはいえネット上に批判が殺到し、再び掘り出したというのはまさに茶番ではある▼しかし、こうした類のことが起こるたびに中国の胡散臭さが喧伝され、共産党と結びつけられた「社会主義」のイメージは地に墜ちていく。延坪島砲撃・三代世襲問題の隣国にも同様の困惑がある▼そんな中、2012年国会議員選挙・大統領選挙にむけ進歩大統合の道を歩む韓国民主労働党が、その綱領から「社会主義の理想と原則の継承発展」という字句を削除してしまった。前二者とは違った視角から、これにも困惑を覚える▼「社会主義」、われわれの周辺にも言葉だけが踊っているふしもないわけではないが、結局、普通に働いて生活している人びとと離れたところには成立しない、離れれば墜ちていくしかないのが「社会主義」ではなかろうか。
国鉄闘争の終結迎えて
もの言う労働者の掃討作戦を許すな
 国鉄闘争が終結した。残された課題であったJRへの雇用回復は、まったくのゼロ回答を突き崩すことができなかったが、この6月30日をもって原告団中央協議会、及び国鉄闘争共闘会議は解散した。あっけない幕切れとなったが、原告団の平均年齢は58歳となっており、これ以上「雇用問題」を引きずることは、いたずらに原告個々の今後の人生を翻弄することにつながると判断したのだ。
 私自身、6月上旬に熊本、佐賀を訪問し、原告団と交流した直後で、彼らの期待を肌身で感じてきたこともあって、実に残念無念の結果である。しかし、現在の力関係からすると無理からぬものと、受け入れざるをえない。90年に「国鉄闘争支援兵庫県共闘会議」、01年に「兵庫県国労闘争団を守る会」、06年に「国鉄闘争支援兵庫県実行委員会」を立ち上げ、状況に応じた共闘体制づくりに従事してきた一人として、力が及ばなかったことを痛感しているところである。
 民主党政権に対して、昨年4月9日の「JRへの採用を要請する」「その他の雇用について努力する」との政治合意の実行を求めてきた。しかし、政権の混乱・弱体化・変質とJR各社・官僚・企業内労組の巻き返し、その上、東日本大震災もあって、結局、政府は何も実現することがなかった。担当する大畠国土交通相は記者会見で「もう少し企業側は度量を持って対応すべきではなかったか」とJRの対応に不快感を示したが、JRと主要な役員は結局、不法行為の責任から逃げ通す道を選んだ。形を変えた責任追及(株主訴訟)が検討されていると聞いている。
 国鉄闘争は、87年の不採用で清算事業団に送り込まれて以来24年を超えて闘われた、国鉄の分割民営化において国が犯した不法行為(不当労働行為)を糺す闘争であった。その前段の、あの悪名高き「人材活用センター」などの攻防もあったから、実に四半世紀を超えて、まさに家族を巻き込んでの人生をかけた闘いであった。被解雇者だけでなく、JR職場に残れた諸君も厳しい闘い、試練の連続であった。なかんずく鷹取工場の闘争は熾烈を極めた。また、九州から広域配転に応じた仲間も国鉄闘争の勝利を念じて奮闘してきた。彼らが示してくれた「国労魂」は、日本労働運動史上に燦然と輝くものである。
 だが国鉄闘争は、加藤晋介・鉄建公団訴訟主任弁護士が何度も指摘しているように、「敗北」として評価せざるを得ない。しかし、彼は「敗北のなかにあって、最後の一矢は報いた」ことを強調している。「労働者がまなじりを決して真剣に闘えば決して敗北に終わらない」のだ。
 なぜ、どのようにして、国鉄闘争は「敗北」に追い込まれたのか? それでも「最後の一矢を報いる」ことができたのはなぜか? そこから今後の課題、私たちが進むべき道をどう見出すのか? 真剣な総括運動が求められている。幸い、加藤弁護士が著した『国労闘争団が闘い取ったもの』(いずみ橋書房刊)は良くまとめられている。ぜひ、購読の上、討論を組織していただきたい。
 原告団のこれからの生活は極めて深刻である。千数百万円の和解金を手にしても、退職金にも満たないし、多くの団員は借金を抱えていた。就職先が本当にない。年金も若くなるほど少ない。特に50歳代のJRへの復帰に期待をもっていた層は、展望すら見いだせないのが実情である。ただ、彼らは仲間意識を失っていない。今後も続く苦難の道を、共に闘った仲間として、肌身を寄せ合い、知恵を出し合って、力強く生きようとしている姿を見聞きすると頭が下がる。
 一方、権力を握るものたちは、労働者への追撃の手を緩めようとはしない。大震災を受けて、「日本は一つだ」「ガンバロウ日本」と煽りながら、権利を主張し、安全確保を求める「もの言う労働者」を職場から掃討する作戦の手は緩めない。その一つが、日航(JAL)による、活動家の大量指名解雇である。国鉄闘争に続いて、このJAL型解雇を許せば、すべての職場での掃討作戦を許すことになるだろう。現在パンフを作成中であり、この秋にはなんとか運動体を作り上げたいと準備に入っているところである。
佐野修吉(前・兵庫県国労闘争団を守る会事務局長)
29年ぶりの母との暮らし
 29年ぶりに母と同居することになった。
 父が死んでから丸4年、1人住まいだった母の病気がわかったのは4月。1月には異変に気がついていたようだが、私が心配するからと妹だけに病気を打ち明け、黙っているように約束していたようだ。しかし、いつまでも黙っている訳には……と妹が話してくれたのが4月だった。病気は「悪性リンパ腫」。すでに転移もしている。
 病名を聞き、すぐに「一緒に住もう」と母に伝えた。それまでも「一緒に住む?」と聞いていたのだが、「まだ元気やから」と断っていた母。私がそう言うと泣きながら「お願いします」と。1人で病気と闘うのはつらい。しゃべる相手がいないのはつらい。そう思ったのだろう。
 一緒に住むと決まってからは大変だった。まずは病院をどこにするか。診断してもらった病院は母の家からは近く、信頼もできるが、仕事を持っている私たち姉妹にとっては遠く、毎日のことなので負担が大きくなる。私の家の近くの病院にするならどこがいいか。紹介してもらえるのか等々、聞かなければいけないこと、決めなければいけないことがたくさんあった。病院が決まったら治療内容を決めなければいけない。とことん病気と戦うのか、病気の進行を遅らせるだけの治療にするのか、マイルドな治療にするのか。母の気持ちは「痛いのはいや」。それなら抗がん剤治療はせず、進行とともに痛みを取る治療にするか。でもこの病気は薬が自分にあったら完治も期待できるらしい。つらい思いをさせて本当にいいのか、などなど本当にいろんなことを一緒に考えた。最終的には母が、「抗がん剤治療を頑張ってみる」と言い、治療内容が決まった。今、半月病院、半月自宅の生活をしている。9月までこの生活が続く。結果がよくなければあと2カ月伸びる。
 母との29年ぶりの2人暮らしは、生活パターンが違うので、無理して合わすのではなく、お互い今までの生活パターンでいこうと決めた。母は、朝8時まで寝ている。夕食は5時30分に食べる。私が前の晩に作ったり、簡単なものなら母が作ったりして、それを1人で食べている。それから私が帰るのを待ち、ご飯を食べ出すのを待ってお風呂に入り、遅くとも8時30分には横になる。この生活だと2人で一緒に食事をするのは休みの日だけになるが、それもしかたがない。母はこの生活時間でないとしんどいのだから。
 食べ物の好みもこだわりがある母は、のりはここの店、梅干しはここの店と決めている。それがないと入院中でも買いに行くと言い出す。時々私が車に乗せ、病院を抜け出し買いに行く。困った患者だ。そのことを母に言うと、「お姉さんも大概わがままやで」と逆襲してくる。そして自分のいいと思っている事(たいてい朝のラジオで浜村淳が言っていたことのようだが)を私に薦める。「好き嫌いせずに体にいいから食べなさい」「夜8時以降は食べない方がいいから、早く帰ってきなさい」「ストレスがたまったらあかんから仕事以外のいらんことはやめなさい」などなど。当たり前だがやっぱり母親。50を過ぎた娘に、小さい子どもに言うようなことを言ってくる。それが煩わしくもあり、笑えてくる毎日をいま送っている。
(H・T)
地労協運動を担う地域ユニオンの役割
 ユニオンあしやは、芦屋地労協に事務局長、常任幹事の2名を派遣し、地労協が芦屋での唯一つの労働組合のローカルセンターとしての役割を強化するためにその活動に参加し、活動を担っている。年間を通じた活動は、月1回の常任幹事会でユニオンの活動を報告することやニュース配布などである。
 芦屋地労協の主要な活動を以下に具体的にあげる。
 1月は「新春旗開き・地労協総会」。総会後の懇親会でのユニオンあしや特製のカス汁は好評だ。
 5月は「反戦メーデー」。市役所の北広場に組合員が集まり、午後6時開始。集会終了後にはJR芦屋駅までデモ行進を行なう。
 8月の最後の金曜日は「納涼交流会」を芦屋浜中央公園テラスで開催する。組合員・家族の参加のほか、周辺の市民も参加し、年々参加者が増えている。夏休み最後の地域イベントとして期待されている。各組合が工夫をして模擬店を出店し、ビンゴゲームなどで会場は盛り上がる。
 9月は「全国地区労交流会」に参加。全国の地区労を取り巻く環境は大変厳しい状況で、加盟組合数、組合員数の減少による財政難は、運動の環境を圧迫している。しかし、労働者が置かれた労働環境の悪化(正規・非正規労働者の混在など)に伴い、地区労の必要性はますます高まっているのも事実だ。全国、兵庫県内の地区労とも、共通する課題は、「労働相談」の取り組みや未組織労働者の組織化、そして地域ユニオンとの共同行動の積み重ねである。
 10月は「10・21国際反戦デー地区連帯集会」。これも市役所の北広場に組合員が集まり、改憲反対を確認してJR芦屋駅までデモ行進し、市民にアピールする。
 11月は恒例の「勤労者ボーリング大会」。大会後は懇親会を行い、参加者の交流を図る。
 正規・非正規労働者を取り巻く環境は、悪化の一途をたどっているが、ユニオンあしやの仲間の厳しい労働実態や果敢に闘い続ける行動のことを地労協の常任幹事会で発信し続けることが重要だと思っている。発信することによって、ユニオン運動への理解と共感を得ることができると考えるからである。
森口道夫(ユニオンあしや)