ひょうごミュージアム

ひょうご碑物語56
水車場跡の碑
(芦屋市山芦屋町)

2022/05/18
江戸時代の中期以降、六甲山の南麓では川の急流を利用した水車式の搾油業が発生。多くの水車場ができた
 江戸時代の中期以降、農漁業の生産量が急増するが、これに伴い農産物加工など手工業も発達期を迎える。
 そうした時代背景のなか、六甲山の南麓では、芦屋川や住吉川などの急流を利用した水車式の搾油業が発生する。淡路産の菜の花を原料にした菜種油絞りや酒造用の精米のために巨大な水車が稼働するようになった。自治体などの調査では、住吉川で53基、芦屋川で14基あったとされる。水車小屋は大きなもので10間(18m)のものもあったようだ。
 事件、事故の記録もある。1827(文政10)年には、住吉川の源流付近で土桶(土管)を設置して芦屋川に流れを変える事件が起き騒動になった。また、住吉川では米や油などの運搬に牛が使われたが、急峻な谷筋だったために転落事故が相次いだ。かつて六甲ケーブル下駅の近くに犠牲になった牛を供養した石碑があったという。
 水車工場の出現でそれまで高価だった菜種油が安くなり諸国への配送が増え、酒造業の発展でも海運業が栄えた。北前船の航路は大阪湾から日本海沿岸を経て北海道・樺太まで及んだ。(鍋島)
【メモ】阪急・芦屋川駅下車。芦屋川右岸に沿って北上、徒歩10分。