ひょうごミュージアム

ひょうご碑物語 49

2021/09/28
「播磨灘物語」の作者の司馬遼太郎の先祖に因む英賀城の土塁も残る英賀神社内に碑は立つ
播磨灘物語の碑
(姫路市飾磨区)

 
 「播磨灘物語」は、司馬遼太郎の代表的な歴史小説で、1973年5月から1975年2月まで、読売新聞で連載された。天下統一に向けて動く豊臣秀吉の軍師として知られる黒田官兵衛の生涯をいきいきと描く物語だ。 
 英賀城は、官兵衛が城主であった姫路城から南西にわずか約8kmの所にあり、西は夢前川、北は湿田、東は水尾川、そして南は瀬戸内海に囲まれて、姫路城よりも広大な敷地を有していた。英賀の町は、水の要所として知られ、一時は、播磨最大の都市として栄えた。しかし、英賀衆のほとんどが一向宗になり、大坂の石山本願寺を支持したため、当然、織田信長と敵対することとなった。そして、1580年(天正8年)、秀吉の「英賀攻め」によって、城だけでなく町全体が火の海となり、英賀の町は一夜にして焼失したという。
 この時、英賀城に籠城した武将の中に司馬遼太郎の先祖がいたとされ、司馬は「(先祖の)伝承が触媒になって構想が膨らんだ」と語っている。
 碑は、英賀城敷地内の北に位置する英賀神社の境内に「司馬遼太郎」のサイン入りで建立されている。(森山)
【メモ】英賀神社。JR山陽本線・英賀保駅から南西へ徒歩5分。山陽電鉄では西飾磨駅から北西へ徒歩5分