ひょうごミュージアム

ひょうご碑物語46
民族学級碑
(丹波篠山市北新町)

2021/06/22
 篠山では戦前からたくさんの在日コリアンが暮らしていた。その多くは、硅石採掘を行う鉱山労働者で、強制連行で連れてこられた人もいたという。
 戦後、鉱山労働者と家族が中心になって、子どもたちのために国語(朝鮮語)講習所を市内4か所に設置するも(後の朝連初等教育学院)、旧文部省の閉鎖令で1950年にその幕を閉じる。
 けれども、閉鎖令をめぐり在日コリアンの諸団体と広範な民主団体による教育闘争が果敢にたたかわれ、その後の民族学級の設置につながる(県内では宝塚、姫路、相生など各地に設けられた)。
 篠山小学校に併設された民族学級は1981年3月まで続き、派遣された民族講師によって、母国語や地理、歴史などが教えられた。
 ちなみに、硅石はセメントやガラスの原料になるもので軍事化の過程で需要が高まった。篠山の畑鉱山の硅石は良質とされ、1926年に官営八幡製鉄所の直営鉱山としてスタート。製鉄所の炉材用レンガとして使用された。
 なお、碑の建立は同市の人権同和教育研究会等の尽力で実現した。(鍋島)
【メモ】丹波篠山市北新町5。JR篠山口駅からバスで10分(二階町下車)。城址の東側、篠山小学校内。
在日コリアンのために篠山小学校に併設され1981年3月まで民族学級の碑