新社会兵庫ナウ

私の主張(2022年3月23日号)

2022/03/23
今こそ憲法9条の理念を
改憲・「核共有」論を許すな

 
 2月24日から始まったロシアによるウクライナ軍事侵攻は、3週間近く経つ今も軍事作戦は一段とエスカレートし、攻撃は激しさを増している。まずもって、このロシアの暴挙を糾弾し、強く抗議したい。
 プーチン大統領は、核兵器の使用さえほのめかして威嚇するにとどまらず、実際に原発施設をも攻撃目標にして制圧し、病院や学校・幼稚園などへも砲撃を加えている。無差別爆撃の様相のなか、子どもを含む多数の市民が犠牲となり、国外避難者も250万人を超えた。そして、首都キエフを完全制圧するための総攻撃も迫っているとされる。
 軍事侵攻に至る背景にはNATOの東方拡大の脅威があったにせよ、武力による現状変更、武力の行使は断じてあってはならない。一刻も早く停戦し、ロシア軍はウクライナから撤退するべきだ。
 ただ、この事態のなかで注目したいことのひとつは、ロシア国内で軍事侵攻に抗議する民衆の反戦デモや行動が、権力による拘束など厳しい弾圧にも屈せず起こったことである。また、ロシアに抗議し、ウクライナを支援する反戦デモや行動が全世界で広がっている。ロシアに対する各国の経済制裁が拡大されているが、軍事行動を止めさせるのは戦争という手段ではない以上、各国の外交によるねばり強い交渉と、民衆の動きの世界的なうねりしかない。
 日本国内でも私たちにできることは、世界の民衆の動きに連帯し、ロシアへの抗議と反戦の行動をさらに広げることである。今からでも、小さな行動からでも始めていこう。
 だが一方、国内の政治に目をむけてみると、今回の事態に乗じて、驚くべき暴論が公然と急浮上してきた。ウクライナへの軍事侵攻をめぐって安倍元首相は、国連の安保理が機能しない構造をとらえて「自分の国を自分で守るという決意と防衛力の強化を常にすべきだ」と、2月27日のテレビ番組の中で発言。さらに、ニュークリア・シェアリング(核共有)についての見解を問われ、「非核三原則はあるが、『核共有』の議論をタブー視してはならない。国民の命をどうすれば守れるかは、様々な選択肢をしっかりと視野に入れながら議論すべきだ」とも述べた。
 「核共有」とは、NATOの一部でドイツなどが取っている政策で、アメリカの核兵器を非核兵器国である自国に置き、アメリカと共同で運用しようとするものである。
 どのように言い繕おうと、日本の「核共有」とはアメリカの核兵器を日本に配備するということであって、核を持ち込まないとする国是の非核三原則の見直しに他ならならない。タブーを破って自由に「『核共有』について議論すべき」とは、日本が核兵器を配備・使用することについて議論しようということだ。
さらに、これに悪乗りするかのように日本維新の会も3月3日、「核共有による防衛力強化等に関する議論を開始すること」を林外相に提言した。
 こうした暴論が、いま岸田内閣のもとで公然とうち出されている「敵基地攻撃能力保有の検討」と「軍事力の増強」の議論に重なっていくことを考えると実に空恐ろしい。
 コロナ禍という「緊急事態」に加えて、ロシアによるウクライナ軍事侵略、そしてその事態を単純に中国や北朝鮮の脅威に引き寄せて同一視しことさらに「非常事態」を描き出しては煽動して改憲、とりわけ9条改憲への水路を広げようとする危険な議論は、何としても食い止めなければならない。それらの諸要因を意図的に相乗させて悪用し、改憲と戦争への道を前のめりになって進もうとしている危険な動きを阻まなければならない。
 ウクライナ侵略から投げかけられている問題のひとつは、核兵器の恐怖と原発が持つ危険性を改めて示したことではないか。核兵器の使用に対して核兵器で応戦することは世界の破滅と人類の滅亡という絶望を生み出す。そんな愚挙はありえない以上、改めて核抑止力のジレンマと、その対極の核兵器廃絶が待つ意義を深く受け止めるべきではないか。核兵器禁止条約が蹂躙されることがあってはならない。逆に今こそ、不戦・非武装・非核の尊さを掲げる時ではないか。日本国憲法の9条を世界に広げる時ではないか。唯一の被爆国として、日本がこの事態のなかで世界に果たすべき役割はこのことではないだろうか。
 改憲に意欲を燃やす岸田内閣だけに、この夏の参院選はさらに特別な意味を持つ。
上野恵司(平和運動研究会)