新社会兵庫ナウ

おんなの目(2021年3月9日号)

2021/03/09
選択的夫婦別姓制度を考える
 
 昨年12月25日に「第5次男女共同参画基本計画」が閣議決定された。その中で注目されていた選択的夫婦別姓制度の導入については、最終局面で自民党議員の反対で削除された。
 選択的夫婦別姓制度とは、夫婦同姓を基本としながら、結婚時に改姓したくない人が結婚前の姓を結婚後も正式に名乗れる制度である(通称として名乗るのはすでに認められている)。個人の意思を尊重し、家族等人間関係の多様化に対応するため導入が求められている。私自身、結婚して改姓した時、しばらく精神が不安定になった経験がある。名前は個人に帰属する尊いものであって、国家に左右されるものではないと思う。
 それに世界の潮流は夫婦の姓にこだわってはいない。厳格に夫婦別姓を守っていた韓国でも30年前に別姓同姓とも認められ、いまや改名も自由になっている。先日、イギリスの30才の男性が酒に酔った勢いで、世界の歌姫「セリーヌ・ディオン」に改名のオンライン申請し受理された。本人は申請した記憶がないそうだが、彼女の大ファンなので、当面はこのままでいるそうだ。このように世界では名前の決定に寛容で、人は自由に名乗っている。この背景には、人権意識の高さがあるのだろう。
 それに対し、日本ではこの選択的夫婦別姓制度が削除されて、杉田水脈議員は「良かった」とツイートした。日本会議系の議員はこの制度に強く反対した。
 彼らは何故反対するのか。私なりに勝手に考えた。まず、歴史を調べると、19世紀中頃まで日本では他のアジア諸国と同様に律令制度や儒教の影響で夫婦別姓であり、娘は父の系図に有るものとして父の姓を結婚後も名乗った。源頼朝の正妻「北条政子」のように。ところが、19世紀の欧米ではキリスト教に基づくファミリーネームという考え方から、夫婦同姓が当たり前であった。「脱亜入欧」を目標にした明治政府は、庶民に姓を名乗らせる時に欧米風に夫婦同姓にしてしまった。明治33年の官報によってである。
 杉田議員をはじめ日本会議系議員は、欧米が強制していない夫婦同姓という「美風習」を今も守っていると変な自負心を持っているのではないか。そしてアジア蔑視が抜けないせいで、夫婦別姓などけしからんと思っているのではないか。そうならば、彼らの発想は100年以上前の明治の考え方のままである。彼らは明治憲法下の日本を賛美し、「美しい日本を取り戻そう」などと時代錯誤が言えるのだ。
 このような明治の価値観を持つ輩が日本の国の中枢にいる限り、悲しいかな、日本は人権国家にあまりにも程遠い。私たちは、固定された古い価値観を打ち破らなければならないのではないか。(大野恭子)