新社会兵庫ナウ

おんなの目(2023年3月8日号)
『ちとせちゃん(仮名)』

2023/03/08
 私の故郷の村は西側と南東側に、被差別部落があった。南東側は同じ校区で、小学生の時そこに住むA子ちゃんの家に宿題を届けに行った。雨上がりの午後で、A子ちゃんの家の前には、とてつもなく大きな水溜まりがあった。お父さんらしき人が出てきたが、スキンヘッドだったのでびっくりした。今はよくあるヘアスタイルだが、50年前は僧侶か、「反社」の舎弟のものだった。 
 ちとせちゃんもA子ちゃんと同じ村に住んでいた。彼女は、当時大人気のアイドル南沙織によく似た可愛い女の子だった。ちとせちゃんと私は誕生月が同じ8月だが、学校で夏休み中の8月生まれだけお誕生会がなかった。それで、ちとせちゃんのお母さんがお誕生会を開いてくれた。ちとせちゃんのお母さんと私の母は仲良しだった。母はいそいそと送り出してくれた。
 ちとせちゃんの家は外観も間取りもお洒落な家だった。設計されたのは建築家のお父さんで、口髭を置いた芸術家風の格好いい人だった。お昼ご飯を頂いた。フォークとナイフが置いてあって、戸惑う私に、お母さんがはっと気が付いて、お箸を出してくれた。ちとせちゃんは器用にフォークとナイフを使った。ご馳走だった。私は食べ慣れたみそ汁と鯖の塩焼きがよかったのだが。
 それから、大きなグラスにワインをついでくれた。子どもがお酒を飲んで良いのかとためらったが、勧められて一口飲んでみた。渋くて苦くて不味かった。ちとせちゃんはいかにも飲み慣れてるふうで、飲み干した。ぷはーと息をついて頬が赤らんだ。私はそんなちとせちゃんを嫌に思った。私の家には、寄合でお酒を飲んで帰ってくると怒鳴り散らし、物を投げ付ける恐ろしいオジイサンが居たから、酒を飲む人が怖くて大嫌いだった。翌年もお誕生会に誘われた。母から「行かないと差別する人と思われるから行きなさい」と言われたが、もう行かなかった。
それから、長い時間が経つ中で、解放同盟をはじめたくさんの人々の尽力があって、村は変った。同和対策事業など公的資金もあって地域も変った。田畑や水路の整備など、地続きの私の村にも恩恵があった。差別のせいで貧しくあるのなら、差別を無くすための経済的底上げは当然だと思う。 
 息子が小学生の時、友達のお母さんがしみじみと話してくれた。「差別なんか受けたことないのに、住んでいる地域のせいで差別を受けたことがありますかというアンケートが来るんや。そのアンケート見ると、あー、自分はそういう地域にお嫁に来たんやと思う」と。
今はもう誰も気にしていない。差別というものは変なこだわりであって、意味のない愚かしいことでしかない。まともでありたいと思う人の社会は差別などしない。今騒がれているLGBTQの差別もしかりだ。そして、差別が克服されたら、最初から差別など無かったように振舞ってはいけないと思う。どんな差別があったか、いろいろな運動があって多くの人の努力があったという歴史を、克服の知恵として残さなければならないと思う。もし再び差別が起こった時に備えるために。 
 中学が別々になって、ちとせちゃんと会うことはなかった。今、A子ちゃんは地元で幸せな家庭を築き、仕事もバリバリやっている。ちとせちゃんもきっと素敵な女性に成長し、幸せに暮らしていることだろう。(大野)