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【藤原辰史氏 講演要旨①】
コロナ後の社会を生きる指針 -異議申し立てを自粛してはいけない-

2021/01/24
藤原辰史さん

新型コロナウイルスの「抜き打ちテスト」が露わにしたもの
 
新社会党兵庫県本部は昨年11月19日、藤原辰史さん(京都大学人文科学研究所准教授)を講師にリモート講演による「公開講座」を開いた。以下は、「コロナ後の社会を生きる指針」と題された藤原さんの講演要旨。 【文責は編集部】
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 今日は、パンデミック後というか、このコロナがもたらした新時代を私たちがどう生きていくのか、思想的、歴史的に少し深掘りしていきたい。政府のやっていることがほんとうにピントを外している状況が続いているし、そもそも私たちの社会自体も、感染者自体を罪とみるような息苦しい社会になっている。どうしてこんな殺伐とした社会を私たちが生み出してしまったのか。そういう痛みを伴う反省から、もう一度いろいろな問題を一から歴史的に考えてみたい。
  新型コロナウイルというものが私たちの社会にいったいどういう問題を突きつけたのか。
 「今回のコロナの問題は『抜き打ちテスト』だった」と哲学者の鵜飼哲さんが言っている。どういうことかというと、今までの社会が、しわ寄せが行くようなところにちゃんとケアできているか、あるいはしわ寄せがそもそも行かないようにしていたのか、弱い立場の人たちに対してちゃんと生活の基盤を提供するような社会であったのかについてのテストが行われ、世界中の国がこのテストで赤点を取った。そんな印象を私は持っている。
 以下、主に6つの状況を見ていきたい。

■大規模自然破壊
 ①まず、この新型コロナウイルスで大規模自然破壊とそれに由来する気候変動が改めて重視された。新型コロナウイルスには媒体動物が関わっているが、野生動物がどうして私たち人間社会にウイルスを運んだかというと、もともと野生動物が住んでいた森林を、いわばわれわれ先進国が破壊することによって野生動物の生息空間が破壊されてしまった。地球上の多くの森林が伐採されてしまった。例えばブラジルの熱帯雨林が燃やされ、儲かるからと広大な大豆畑がつくられる。日本は大豆輸入国で、大豆のほとんどをアメリカから輸入しているが、第2位はブラジルだ。そうした日常の食の構造のなかにこの自然破壊というのがある。私たちの台所、暮らしのなかに、この自然破壊が密接に結びついていて、それがある意味、新型コロナウイルスの問題を私たちに迫ってきたということを考えなければならない。
 それから、非常に多くの野生動物の肉がブッシュミートという形になり、銅とかレアアースを掘る労働者の食料とされていて、そういうブッシュミートのマーケットが生まれている。それは日本と無関係ではなく、大いに関係がある。日本では携帯電話や子どものゲームなどのためにレアアースを必要としているが、私たちが開発、大量生産、大量消費、大量廃棄のシステムを繰り広げている限り、このようなウイルスが現れて私たちと齟齬をきたしてしまう。

■非正規雇用労働形態の脆弱さ
 ②2番目だが、非正規雇用労働形態が1990年代から日本では中心的に動き始めていて、これがまさに脆弱点となっている。この非正規労働者から首を切っていくという状況に陥っていく。その経済政策は、小泉政権時から竹中平蔵氏のリードのもとでなされてきて、今でも続いている。

■言葉の破壊
 ③3番目として、言葉が破壊され続けてきている。これは日本だけではない。例えばロックダウンをめぐって、説明、理由の説明、いま何が起こっているか、不完全でもいいから情報を伝える努力、また、失敗するかもしれない政策を打つときにどうして打つことになったかの説明、あるいは失敗したあとどうして失敗したのかの検証について、私たちは言葉を使わない限り説明できないが、この言葉への信頼が、とりわけ、アメリカのトランプ、ブラジルのボルソナーロ、さらにベラルーシのルカチェンコなどにみられるように、強圧的な国家ではことごとく消えていった。これは、ナチス時代、本が燃やされた時代よりも言葉が衰弱してしまっていることだと思う。さらに、いま進行中の日本学術会議の問題もそうだ。菅首相は「総合的・俯瞰的」という言葉を延々と使い続け、国会で野党の質問に対して答えるのではなく、とにかく同じ言葉を繰り返し続けているが、このような形でコロナの対策に向かうことはたいへん厳しい状況にあるのと同義だと思う。政治や人文学を担う者にとって、言葉は命と同じくらい大事なものだが、これが破壊されている。

■人文学・文化の軽視
 ④それとともに、人文学や文学というものが軽視され、コロナに対しては医学や公衆衛生学という理系の観点が非常に全面に出されている。しかしながら、こういうケースは私にはデジャブ感がある。人類はすごくいっぱい感染症の歴史を繰り返してきたのに、それらが軽視され、現在の現状分析で政策が決定されている。歴史をちゃんと見ていかないといけない時期なのに、歴史を見ない。日本は歴史に対してほんとうに政治家の感性が鈍いと思う。

■男性中心社会の暴力性
 ⑤それから男性中心社会であるということがあらためて明らかになった。どうしても日本の政治家、学界は男性が多いが、それと同時に運動する側でも、中心には男性がいることが多々みられる。そういう意味で、日本は基本的に男性中心社会できている。ところが、今回、コロナ禍のなかで日本では女性の自殺率が一気に増加した。内閣府の男女共同参画局の調査によるもと、去年の同時期より187人多い自殺者が出た。しかも女性へのDV、解雇の増大もある。
 こういうふうに女性にしわ寄せが来る時代、つまり、社会というのは危機の時代に馬脚をあらわすから、やはり女性にしわ寄せが来ているということに変わりはない。ひとり親世帯、特に女性のひとり親世帯で、母親がコロナに罹ったらどうなるか、政治家の男はまったくそこに心を向けていかなかった。どこにしわ寄せがいくかはコロナ以前からすでに分かっていたことなのに、私たちはそれを放置し続けてきて、コロアの「抜き打ちテスト」で赤点を食らっているという状況だと思う。これはもちろん私にも批判は向けられることだ。

■都市と大企業の一極集中の脆弱さ
 ⑥それから都市と大企業の一極集中が脆弱であるということも今回分かったことで、今後、価値観も変わり、間違いなく大都市集中という社会は終わっていくと思う。
 ⑦これまでの①から⑥は、いま人文学者や政治学者の用語でネオリベラリズム、新自由主義という言葉で説明される。人文系や社会系が軽視され、自然破壊にノータッチで気候変動に関心がない。言葉を重視しない。そして非正規雇用の形態を重視する。できるだけ企業の経済活動がスムーズに、スマートに行くようにする。私はスマートという言葉が大嫌いだが、スマートにやっていくために、人間の生命や人々の生きがいを犠牲にしてでも経済を優先させようという動きだ。
 新自由主義の時代に起こっていることのひとつとして、ホモポリティクス(政治的人間)のかわりにホモエコノミクス(経済的人間)に誘導するような教育がずっと行われてきた。最近だと、国語は実用国語が中心で、文学の国語を学ばなくてもよいという動きが出てきたりしている。経済に資する国語力を身につけるという動きと密接に関係している。人間の感情の動きや人間のいたわりの心の動きを見据えていく教育が必要なのだが、新自由主義はそれを無視してきている。これは日本だけではない。要は、支配層が人間を人的資本として、人的資源として見ていくということになっていく。
 もっと端的に言うと、経済が国民と国家を統治する時代が来ていたということだ。しかし、これはコロナで大打撃を受けた。新自由主義のメッセージは、「私を止めるな」だ。この新自由主義のメッセージに対して、これまで止めてきたのはストライキだったのが(労働者のストライキが経済を止め、労働者がいない限りはこの世界が成り立たないということを示してきた)、今度は、コロナウイルスによって政府が初めて経済活動を止めた。ストライキではなく、国家自らが経済を止めて経済不況が来て、富の再分配として不十分ながら一人10万円の給付が行われた。ベイシックインカムの議論が出てきて、生れ落ちたらひとり7万人くらいを配ろうと竹中平蔵氏が言うようになった。ストライキをせずして、コロナが「ストライキ」を誘引してしまったという時代に来てしまっている。しかし、それは国家がしたことであって、その後、経済がV字回復を果たした暁にはまた新自由主義に戻ってしまう。
 私たちは、もう一度、今日のテーマである「異議申し立て」をちゃんとして社会を変えていくのかという論理をどういうふうに考えていくか、新自由主義の現実から考えていきたい。
 日本の場合、菅首相が中小企業を再編するということを言い、大企業への集中ということを公言している。竹中氏もベイシックインカムを作り、これに生活保護などの福祉を一元化しようと言っている。小さなものを大きなものに再編しようと言っている。
 ベイシックインカムは、日本だけでなく、いま世界中で議論されている。人に生れ落ちた以上、まったく平等に7万円から8万円を与えることによって、あるいは10万円を与えることによって、みんながぎりぎりご飯は食べて行ける社会が来るという。いわゆる左翼の人たちからも右翼の人からも左右問わず、新自由主義者までも、かなりベイシックインカムを評価している。しかし、その内容が論者によって全くバラバラであり、コロナ新時代の非常に大きな課題であると思う。
 これに対して私たちがどういう態度を取るべきか。あらかじめ私の立場を申し上げるが、私は竹中氏のような新自由主義的なベイシックインカムには反対しなければならないと思っている。国が「7万円上げましたよね、もう私たちがやることはありません」というふうになってしまう。しかも、生活保護という非常にきめ細やかに生活困窮者や失業者に行き届くような制度を打ち捨ててしまっては単調な福祉になってしまうと思う。そうではないためには、私はベイシックインカムも必要だと思うが、それに加えたベイシックサービス、衣食住というものがきっちりと行き渡るような社会、サービスと物がちゃんと行き渡るようなベイシックな社会が必要で、私は複合体が必要だと思う。
(つづく。以下は、▼歴史研究からの視点▼ポストコロナの思想の内容で、次号=2月9日号と次々号=2月23日号に掲載の予定)

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藤原辰史(ふじはらたつし)さん 1976年、北海道旭川市生まれ、島根県横田町(現・奥出雲市)出身。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史。『給食の歴史』(岩波新書、2018年)、『分解の科学』(青土社、2019年)など著書多数。最新刊に『縁食論』(ミシマ社、2020年)。